南アメリカの歴史

1800年代後半、米国南部でアフリカ系アメリカ人の投票率が激減した理由とは?

19世紀後半のアメリカ南部では、アフリカ系アメリカ人の投票率が劇的に低下しました。合衆国憲法修正第15条によって投票権が保障されていたにもかかわらず、数多くの障壁が彼らの政治参加を妨げることとなったのです。本記事では、投票率低下をもたらした4つの主要な要因と、それが南部の政治にもたらした影響について詳しく解説します。

1. 選挙権剥奪(ディスエンフランチャイズメント)法制

南部諸州は、アフリカ系アメリカ人が有権者登録を行い、実際に投票することを極めて困難にする一連の法律を次々と成立させました。主なものは以下の通りです。

  • 人头税(ポールタックス):投票するために税金の支払いを義務付け、経済的に苦しい立場にあった黒人有権者を事実上締め出しました。
  • 識字テスト:読み書きの試験を課すことで、教育の機会が体系的に制限されていた黒人層を排除しました。
  • 白人限定予備選挙:民主党の予備選挙から非白人を除外し、実質的な候補者選定の場から締め出しました。
  • 重罪者選挙権剥奪法:軽微な犯罪であっても重罪として扱い、選挙権を永久に奪う口実を作りました。
  • 祖父条項(グランドファーザー・クロース):1867年以前に投票権を持っていた者の直系の子孫のみ識字テストや人头税を免除とし、黒人有権者だけを厳しく制限しました。

2. 暴力と脅迫

投票しようとしたアフリカ系アメリカ人は、クー・クラックス・クラン(KKK)などの白人至上主義者集団による暴力や脅迫にさらされることが少なくありませんでした。リンチ、暴行、さらには職を失うことや経済的な報復といった手段が用いられ、多くの人々が命の安全を優先して投票を断念せざるを得ませんでした。

3. 連邦政府による執行の欠如

憲法修正第15条はアフリカ系アメリカ人の投票権を保証していましたが、連邦政府はこの規定を実効性のあるものにするための執行を怠りました。この不作為により、南部諸州は報復を恐れることなく、選挙権剥奪の政策を継続・拡大することが可能となったのです。

4. 政治的腐敗

南部の選挙管理当局は、アフリカ系アメリカ人の票を無効化するために政治的な腐敗行為に手を染めることも珍しくありませんでした。開票箱への不正な票の投入、有権者名簿からの恣意的な削除、不正な票の集計などが横行し、たとえ投票所に足を運べたとしても、その声が正当に反映されることはほとんどありませんでした。

これらの要因がもたらした結果

こうした多重の障壁の結果、1800年代後半の南部におけるアフリカ系アメリカ人の投票率は急落しました。州によっては投票率がわずか5%まで落ち込んだ地域もあったとされています。この投票率の低下は、白人民主党が南部の政治的支配を確固たるものにする一因となり、20世紀半ばまで続く人種差別的な政治体制(ジム・クロウ体制)の基盤を形作ることになりました。公民権運動と1965年の投票権法(Voting Rights Act)の成立によってようやく、これらの抑圧的な仕組みは法的に排除されることとなります。