ロシア革命は米国を戦争へ近づけたのか?
「ロシア革命が米国を戦争に近づけた」という見方は、歴史的事実とは異なります。米国は第一次世界大戦(1914年〜1918年)の開戦当初から約3年間、一貫して中立の立場を維持しており、ヨーロッパの戦火に直接関与することを避けてきました。
米国が連合国側として本格的に参戦したのは1917年のことです。つまり、戦争勃発から3年以上が経過した後の決断であり、これをロシア革命そのものが引き起こしたわけではありません。
米国が中立を維持した3年間
1914年に大戦が勃発した当時、ウッドロー・ウィルソン大統領は中立宣言を発表し、国民に対して公平な立場を保つよう呼びかけました。米国内にはドイツ系移民やアイルランド系移民など、交戦各国と結びつきを持つ人々が多く、世論も一枚岩ではありませんでした。
しかしその間も、米国経済はイギリスやフランスなどの連合国側との貿易や融資を通じて次第に深く結びついていき、中立の維持は現実的に難しくなっていきました。
米国参戦の実際の引き金
米国が参戦を決意した主な要因は以下の通りです。
- ドイツの無制限潜水艦作戦: 1917年初頭、ドイツはイギリス周辺海域で商船をも無差別に攻撃する方針を表明し、米国船舶への攻撃が相次ぎました。
- ツィンメルマン電報事件: ドイツがメキシコに対し、米国との戦争に踏み切れば領土回復を支援すると提案していたことが1917年に発覚し、米国世論に大きな衝撃を与えました。
- 連合国への経済的・感情的傾斜: 大規模な融資と貿易関係、報道の影響などにより、米国は事実上連合国寄りの立場となっていました。
こうした要因が重なり、ウィルソン大統領は1917年4月に議会へ対独宣戦布告を求め、米国は第一次世界大戦に参戦しました。
ロシア革命との時間的な前後関係
ロシアでは1917年3月(旧暦2月)に二月革命が起こり帝政が崩壊し、同年11月(旧暦10月)にはボリシェヴィキによる十月革命が成立しました。一方、米国の対独宣戦は1917年4月であり、ボリシェヴィキ政権の誕生より前に参戦を決定しています。
むしろ革命後のロシアは、1918年のブレスト=リトフスク条約によって戦線を離脱しました。つまりロシア革命は米国の参戦を促すどころか、連合国側の戦力を弱める結果をもたらしたのです。米国の参戦は、ドイツによる海上攻撃や外交文書の暴露といった直接的な挑発への対応だったと言えます。
まとめ
ロシア革命は、米国を戦争へ近づけた要因ではありません。米国は開戦から約3年間中立を保ち、1917年に無制限潜水艦作戦やツィンメルマン電報などを背景として初めて参戦しました。革命と参戦の時期が重なっていたため混同されやすいものの、両者を直接結びつける因果関係は存在しないのです。