南アメリカの歴史

ジェームズタウンの経済は奴隷制の影響を受けていたのか?

ジェームズタウンの初期経済と奴隷制の関係

1607年に建設された北米初の恒久的イングランド植民地であるジェームズタウンは、その初期の経済において奴隷制の影響を受けていませんでした。創設からしばらくの間、ジェームズタウンには奴隷が存在しなかったためです。当時の労働力の中核を担っていたのは、契約奉公人(インデンチャード・サーヴァント)と呼ばれる労働者たちでした。

1619年、最初のアフリカ人の到来

アメリカ大陸におけるアフリカ人渡来の最初の記録は、1619年8月にさかのぼります。オランダ籍の私掠船「ホワイト・ライオン号」が、約20名のアフリカ人をジェームズタウン近郊のポイント・コンフォートに運びました。しかし、彼らは伝統的な意味での「奴隷」ではありませんでした。彼らは、アメリカへの渡航費用と引き換えに一定期間働くことに同意した契約奉公人として扱われ、契約期間の満了後には自由の身となり、土地を与えられる者もいたのです。

財産奴隷制(チャッテル・スレイヴェリー)の拡大

人間が「所有物」とみなされ、売買の対象となる財産奴隷制(チャッテル・スレイヴェリー)がアメリカ大陸で広く普及したのは、17世紀後半に入ってからのことです。バージニア植民地では1660年代以降、奴隷制を法的に固定する一連の法律が相次いで制定され、1705年には正式な奴隷法典が成立しました。タバコ栽培の急速な拡大が、安価で恒久的な労働力への需要を高めたことが、奴隷制の定着を加速させる大きな要因となりました。

まとめ

つまり、ジェームズタウンの経済は初期段階において奴隷制の影響を受けておらず、主に契約奉公人の労働とタバコ栽培によって支えられていました。しかし17世紀後半以降、奴隷制が法的・経済的に確立されるにつれ、バージニア植民地全体、ひいては後のアメリカ南部の経済は、奴隷制と深く結びついていくことになったのです。