五カ年計画(ピャチレートカ)とは
五カ年計画(ロシア語:Пятиле́тка、ピャチレートカ)は、ソビエト連邦における中央経済計画です。1928年から1932年にかけて実施された第一次五カ年計画に始まり、この五年ごとの計画経済の概念は、その後のソ連の歴史全体を通じて重要な役割を果たし続けました。
五カ年計画の目的と背景
五カ年計画は、ソ連の指導者ヨシフ・スターリンによって主導されたものであり、1920年代の農業中心だったソ連経済を変革・再編・工業化するというより大きな政策の一環として位置づけられていました。その目標は、数十年という短期間でソ連を世界の主要国に匹敵する経済・産業水準へと引き上げることでした。
このため重工業の発展が最優先され、農業部門や消費財生産が工業化の負担の大部分を強制的に担う構造となりました。鉄鋼、石炭、原油、セメント、電力といった基幹産業の生産には急速な拡大目標が掲げられた一方で、消費財の生産はほぼ停滞しました。最初の二つの五カ年計画の時期には、国の産業基盤が大幅に拡張されることになります。
各次計画の推移
第一次五カ年計画(1928〜1932年)
工業・農業生産において一定の成果を上げた一方、広範囲にわたる飢饉を引き起こしました。特にウクライナで発生したホロドモール(ウクライナ大飢饉)は甚大な犠牲をもたらしました。
第二次五カ年計画(1933〜1937年)
産業基盤がさらに拡大し、農業の大部分で集団化(コルホーズ化)が完了した時期でした。同時に、激しい政治的弾圧が行われ、全体主義体制が確立された時代でもあります。
第三次五カ年計画(1938年〜)
1941年のナチス・ドイツによるソ連侵攻と、それに続く「大祖国戦争」によって中断されました。以降の五カ年計画は野心を抑え、より均衡の取れた成長を目指す方向へと転換していきました。
五カ年計画がもたらした問題
五カ年計画による経済成長は、数多くの社会・経済問題を伴いました。主なものは以下の通りです。
- 低い生活水準と消費財の慢性的な不足
- 厳しい政治弾圧と全体主義体制の確立
- 環境破壊と資源の枯渇
- 地域間の開発格差
- 都市と農村の人口間格差の拡大
まとめ
こうした深刻な問題を抱えながらも、五カ年計画は急速な工業化という目標を達成し、ソ連を世界の大国へと変貌させる上でおおむね成功を収めました。しかし、その達成の代償は極めて大きく、計画経済がもたらした光と影は、その後のソ連社会に長く深い影響を残すこととなりました。