ニーダーザクセン州南部の町モリンゲンに設置された強制収容所は、ナチス政権が初期に開設した収容所の一つです。1933年から1945年にかけて、ノルトハイム郡のこの小さな町では、3つの強制収容所が時期を異にして運営されました。第二次世界大戦中に主に収監されていたのは若者たちであり、1945年4月9日、米軍によって青少年強制収容所は解放されました。今年で解放から75年となります。
写真(撮影日不明):旗が掲げられたモリンゲン強制収容所の管理棟。1933年から1945年までの間、ナチスはこの町で3つの強制収容所を運営した。(文:ミヒャエル・ホレンバッハ)
若者たちの「罪」
彼ら若者の「罪」とは何だったのでしょうか。それは、「間違った音楽を聴いた」「間違った服を着た」ということでした。モリンゲン強制収容所記念館のディートマール・ゼドラチェック館長によれば、スウィング・ジャズなどの音楽の好みゆえに、いわゆる「国民共同体」の理想像にそぐわない若者を排除することが、この収容所の目的でした。外見の違いで目についた若者たちは、身なりも異なっていました。ゼドラチェック館長はこう説明します。
「長い髪、イギリス風の上着、そして立ち居振る舞いそのもので、自分たちはこの体制とは無関係だということを示していたのです。そしてそれは、脅威として受け止められました」
若者たちはアウトバーンの橋の建設にも動員
モリンゲン強制収容所記念館は1993年から、旧門衛舎の建物で公開されています。
戦争終結までに、モリンゲン強制収容所にはおよそ300人の若者が収監されていました。最年少の収容者はわずか13歳でした。彼らは収容所の内外で企業のために働かされ、A7高速道路の橋梁工事にも従事させられました。
1980年代、歴史の隠蔽が図られた
戦後、モリンゲンの住民たちは、この暗い歴史の一章をあえて振り返ろうとしませんでした。1983年に開催された町創設1000年祭では、強制収容所の存在そのものをなかったことにしようとする動きさえ見られたといいます。ゼドラチェック館長は語ります。
「町議会で『本当に強制収容所は存在したのか』という採決まで行われました。これは極めて異例なことです。ある出来事が実在したかどうかを、町議会が決めてしまうのですから」
同世代の運命が生む特別な親近感
しかし1993年以来、旧強制収容所の跡地には記念館が設けられています。ゼドラチェック館長の観察によれば、特に学校の児童・生徒たちは強い関心を示します。青少年強制収容所の歴史は、ナチス時代を生きた同世代の若者たちの運命に触れる機会となるため、格別の興味を呼ぶのです。「ほかの若者たちの運命となれば、受け止め方は当然変わってきます」
コロナ禍でも、犠牲者と解放の日をデジタルで追悼
モリンゲン記念館は本来、1945年4月9日の米軍による解放を記念する式典を計画していましたが、新型コロナウイルスの流行により中止を余儀なくされました。「オーストリアやスロベニアから、青少年強制収容所の元収容者の方々とご遺族をお迎えする予定だっただけに、本当に残念です」と、ノルトハイム郡の記念館の広報担当者は話します。
代わりに現在、青少年強制収容所の犠牲者はデジタル形式で追悼されています。5月20日まで、記念館のFacebookおよびTwitter公式アカウントで、写真や歴史資料を組み合わせたマルチメディア投稿が順次配信される予定です。
漫画や演劇を通じて歴史の恐怖を伝える
コロナ危機以前は、モリンゲン記念館は対面での交流を重視し、若者たちへの働きかけに力を注いできました。その一つが、ゲッティンゲンの演劇制作との協働で生まれた戯曲『改善』です。また、ナチスによる迫害という重いテーマを漫画という形式でいち早く取り上げたのも、この記念館でした。
さらに記念館は通常、モリンゲンの協同型総合学校と連携した教育活動も行っています。同校で歴史を教えるシュテファン・フォン・ヒューネ教諭のクラスでは、6年生と9年生の時期に地元の記念館を見学します。通常は上級課程の生徒たちとともに1週間、アウシュヴィッツを訪れることもあります。モリンゲンの収容者たちも命を落とした、あの場所です。フォン・ヒューネ教諭によれば、この密度の高いプロジェクトについては、生徒たちだけでなく保護者からも非常に前向きな評価が寄せられたといいます。歴史の深淵と向き合う経験は、生徒たちを大きく成長させたのです。
「歴史と政治への関心は切り離せない」
フォン・ヒューネ教諭の教え子の一人が、18歳のスティーヴン・アフターベルクさんです。彼は卒業研究で、アウシュヴィッツで行われた、不妊手術を施された女性を対象とする医学実験をテーマに取り上げました。彼にとって、ナチス体制の歴史を振り返ることと政治的な問題意識は、今や切り離せないものです。
「あの出来事は遠い昔のことです。しかし、今日再び右傾化の気配が感じられるからこそ、二度と繰り返してはならないという思いを、当時以上にはっきりと胸に刻まなければなりません」