新年は1月1日に始まる――私たちにとってこれは当たり前の事実であり、フィットネスクラブの毎年の売上(新年の抱負で会員が急増するという意味で)にもはっきりと表れています。しかし、この「当たり前」について少し立ち止まって考えると、この日付がいかに恣意的なものであるかに気づきます。年の切り替わりは、実際には一年のどの日に行われてもおかしくありません。ある年がいつ終わり、次の年がいつ始まるのかは、本質的にはどこにも決まっていないのです。
実は歴史上、大晦日や新年はまったく別の日に祝われていました。年越しの概念そのものは非常に古くから存在していましたが、幾多の回り道を経て今日の祝日へとたどり着いたその過程こそが、新年という行事を特別で魅力的なものにしています。では、1月の新年を「発明」したのは誰なのでしょうか?
まずは暦の話から
この物語を掘り下げる前に、もっと根本的な疑問があります。そもそも、なぜ「新しい年」が存在するのでしょうか? 年の終わりとは、自然界で直接観察できる出来事ではありません。人類は「暦」という概念を自ら発明してはじめて、年越しというものに意味を持たせることができたのです。
大きく脱線せずにまとめると、昔の人々は主に2種類の暦を作りました。最初に登場したのは太陰暦です。月が満ち欠けを繰り返し、2つの満月の間隔がおよそ30日であることに、人々は早くから気づいていました。定住以前の人類も、この月のサイクルを目安にしていた可能性があります。月の満ち欠けの周期にはやがて名前が付けられました。ドイツ語で「Monat(月)」という単語が「Mond(月)」に由来するのも偶然ではありません。実は日本語でも「月」は空の月と暦の月の両方を意味しており、月と暦の深い関わりは世界中に共通するものなのです。
しかし、太陰暦には小さな問題がありました。月が地球の周りを一周する周期は正確には30日ではなく、29.5日と少しです。これだけを基準にしていると、いつしか季節とのズレが生じてしまいます。もし今も純粋な太陰暦を使っていたら、1月は天文的な夏へ何度も行ったり来たりしていたはずです。収穫時期などの重要な日程を管理するには不便極まりません。そこで登場したのが太陽暦です。星々の動きから、1年がおよそ365日で構成されていることに賢者たちは気づきました。少なくとも古代ギリシャ以降、これを基盤とした暦体系が次々と考案され、各月の日数を調整して1年を天文年と一致させる工夫が凝らされます。ただし、それでも疑問は残りました。一体、年の始まりと終わりはいつにすべきなのか?
新年にふさわしい「論理的な日」はあるのか?
ギリシャ・ローマ時代(それ以前も含めて)、多くの先進文化は計算に基づく暦体系へと移行しました。観測だけでなく数学的に計算することで、季節の巡りにできる限り近づけようとしたのです。暦の精度はこうして上がっていきました。では、人々は新年をいつ祝っていたのでしょうか? 文化ごとに違いはあったものの、「新年の日」として有力な候補は明確でした。そして、どれも1月1日ではなかったのです。
年の始まりの日を探すなら、天文学的な節目が最適です。例えば春分・秋分、あるいは夏至・冬至などが挙げられるでしょう。それが最も一貫性のある解決策といえます。しかし古代ローマ人は、そこから少し違う結論にたどり着きました。そして今日の新年がローマに由来している以上、その日付がどれほど非論理的に見えようとも、私たちはそれを受け継いでいるのです。
とはいえ、この点でも私たちがローマに負っているものはあまりに多く、現在の月の名前も、暦の仕組みそのものも彼らが導入したものです。ローマにとって新しい年は、長い間3月1日であり、1月1日ではありませんでした。1月1日にしようがなかったのです。というのも、当初のローマ暦にはおそらく10ヶ月しかなく、これが現在の暦のややこしい名前の由来となっています。「September」はもともと第7の月、「November」は第9の月……紀元前2世紀ごろ、「2ヶ月を足してみよう」という大胆な発想によって生まれた、ひどい混乱に私たちは今も付き合わされているのです。
その後も古代ローマで新年は3月1日に祝われていました。追加された2つの月は、年初ではなく年末に挿入されていたためです。これを変えたのが、およそ100年後のユリウス・カエサルです。彼はエジプトの暦をモデルに旧ローマ暦を改め、1月から始まる「ユリウス暦」を創設しました。365日、12ヶ月、4年に一度のうるう年――このあたりは現代の私たちにも馴染みのある形です。カエサルのおかげで、ローマの暦年は天文年とほぼ一致するようになり、ずれはわずか約11分になりました。ただし、この誤差が実際に修正されるまでには、1600年近く待たねばなりませんでした。グレゴリオ暦への改革まで。
「年の瀬」という言葉に残る混乱
しかし、ローマが1月1日を新年と定めたからといって、それが即座にヨーロッパ全体の標準になったわけではありません。フランク人は3月1日を新年としており、ビザンツ帝国では世界が創造された日とされる9月1日が年初とされました。ユダヤ教はローマ=ユリウス暦を採用しなかったため、ユダヤ暦(太陰暦)は今日でも季節の中を移動し続けています。ケルト人はまったく別の日に新年を祝っており、それは10月末のサウィン祭だったと言われています。さらに中世ヨーロッパの多くの地域では、新年は冬至からクリスマス、そして1月6日(公現祭)の間のどこかで祝われるのが普通でした。
カトリック圏で1月1日が正式な新年と定められたのは、1582年のグレゴリオ暦改革の際のことです。以降、大晦日はその前日として祝われることになります。
1月1日の新年祝いにたどり着くまでの道のりは、実に長いものでした。私たちが知る暦の原型ができあがったのはローマ時代、天文年に合わせた調整が行われたのはグレゴリオ暦改革、そして新年の日付が各地で統一されるまでには、さらに長い歳月が必要でした。それまでの間、新年は地域によってまちまちで、クリスマスから1月初旬にかけてのどこか――旧年の終わりと新年の始まりの「間のどこかの日」でした。ドイツ語には「Zwischen den Jahren(年の間)」という慣用句が今も残っていますが、日本語の「年の瀬」と同じく、こうした曖昧な期間の名残を今日まで伝えているのです。