ドイツ第二帝政は、「第二ライヒ」としても知られる国家で、1871年から1918年まで存在しました。プロイセン王国が主導権を握り、ヨーロッパ大陸に広大な領土と海外植民地を有する帝国として栄えた時代です。
帝国の成立――ヴェルサイユでの皇帝宣言
帝国の成立は、1871年1月18日、フランスのヴェルサイユ宮殿で宣言されました。それまでの北ドイツ連邦に、バイエルン、バーデン、ヘッセン=ダルムシュタット、ヴュルテンベルクの南ドイツ4か国が加わり、恒久的な連邦国家を形成することで合意。各国は主権の大部分を新帝国へ譲渡しました。
このとき、プロイセン国王ヴィルヘルム1世が「ドイツ皇帝」として即位し、オットー・フォン・ビスマルクが初代帝国宰相として新しい政治体制を率いることになりました。
ビスマルク退任後の社会矛盾と外交的孤立
1888年にヴィルヘルム1世が死去すると、フリードリヒ3世の短い治世を経て、ヴィルヘルム2世が帝位に就きました。そして1890年、長年帝国を支えてきたビスマルクが辞職し、以降の政治は新皇帝の主導で進められていきます。
この頃から、ドイツ社会では特権階級と無産階級(プロレタリアート)との対立が次第に深刻化していきました。同時に、他のヨーロッパ列強との関係も急速に悪化し、帝国にとって信頼できる同盟国はオーストリア=ハンガリー帝国のみという、外交的に孤立した状況に陥ります。
第一次世界大戦と帝国の崩壊
1914年夏、ドイツは戦争によって労働者階級を政府の周りに結集できるという期待も抱きながら、セルビアとの紛争においてオーストリアを支援しました。しかし、この対立こそが第一次世界大戦勃発の引き金となったのです。
戦争での軍事的敗北と国内の混乱は、第二帝政の解体へと直結しました。1918年11月9日、ヴィルヘルム2世は退位に追い込まれ、同じ日にベルリンでは共和制(ワイマール共和国)が宣言され、約半世紀にわたる帝国の歴史に幕が下ろされました。
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