ヨーロッパの歴史

第6代ローマ王セルウィウス・トゥリウスの波乱万丈の生涯

第6代ローマ王セルウィウス・トゥリウスの波乱万丈の生涯

ローマ王国も、その歴史の終わりに近づいていました。

「ゆく河の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず」――鴨長明『方丈記』の有名な書き出しですが、この言葉は王朝の歴史にもそのまま当てはまるように思えます。

すでにローマは牧歌的な村の段階を脱し、大国への道を歩み始めていました。

今回は、ローマ王国倒数2番目の王、第6代「セルウィウス・トゥリウス」の生涯を振り返っていきます。

出自不明のセルウィウスを見抜いたタルクィニウスの眼力

セルウィウス・トゥリウスの出自は、完全に謎に包まれています。

伝承によれば、彼は幼くして宮廷に引き取られ、先王タルクィニウス・プリスクスの庇護を受けて育ちました。どのような生まれだったのかは定かではありませんが、タルクィニウスはセルウィウスをことのほか可愛がり、やがて自らの娘を嫁がせるほど深く信頼するようになります。

しかし、これが後に二つの悲劇の発端となるのです。

第一の悲劇は、タルクィニウス自身が命を落としたことでした。

セルウィウスが優秀な人物であることは誰の目にも明らかで、次のローマ王になるだろうことは周知の事実となっていました。

それに反対したのが、第4代王アンクス・マルキウスの息子たちです。自分たちこそが王座を狙っていた彼らは、ついにタルクィニウスを暗殺してしまいます。

この知らせを受けた王妃タナキルは、すぐにセルウィウスを呼び寄せ、王位に就くよう促しました。当時、タルクィニウス夫妻には二人の実の息子がいたにもかかわらず、義理の息子であるセルウィウスを後継者に選んだのです。

この決断が、やがてローマ全体を巻き込む大きな悲劇へとつながりますが、それはまた後の話です。

こうしてセルウィウス・トゥリウスはローマ王国第6代の王となりました。ただし、この即位には民会の承認を得ていないという点が重要で、このことが後々大きな影響を及ぼすことになります。

歴代のローマ王は概ね平穏に即位してきましたが、この頃から状況は一変します。

その背景には、ローマの経済的な発展がありました。

初期のローマにおいては、王座に「旨み」などありませんでした。しかし発展を遂げたローマでは権力と富が集中し始め、王座はかつてないほど魅力的なものになっていたのです。

第2代王ヌマ・ポンピリウスは三度も王位を辞退したと伝えられますが、その孫世代にあたるアンクスの息子たちは、王を暗殺してまで王位を欲しました。

人類の歴史とは、尽きることのない権力闘争の歴史だと言えるのかもしれません。

名君セルウィウス・トゥリウスの数々の業績

ローマの基礎はすでに先王タルクィニウスによって築かれていましたが、セルウィウス・トゥリウスはそこにさらに手を加え、ローマを取り囲む城壁の建設事業に着手しました。

東洋と西洋の都市の最大の違いは城壁にある、と主張する学者もいます。

7世紀頃の中国最大の都市・長安の人口は100万人を超えていたとされますが、同時期のヨーロッパの都市は、人口1万人を超えれば大きい方だったと言われます。

日本と同様に、都市を城壁で囲まない地域もヨーロッパにはありますが、古代から中世にかけてのヨーロッパの都市は、城壁に囲まれているケースが多かったのです。

そして驚くことに、「セルウィウス城壁」と呼ばれる壁の一部は、なんと現代まで残っています。2500年前に造られたものが今もなお形を留めているというのは、実にロマンチックな話です。

2500年後の未来に、自分の存在を証明する何かが残っているだろうかと考えてみると、人はある種の絶望感を覚えるのではないでしょうか。

セルウィウスは、軍制改革を行った王としても知られています。

後のローマ市民権は巨大なブランドとなりますが、ローマ市民権を兵役と投票権に結びつけたのは、このセルウィウスです。

この考え方はギリシャの制度にも通じるもので、「権利には義務が伴う」という精神に基づいています。

「自分たちの手で祖国を守る」という意識こそが、ギリシャをペルシャ戦争の勝利へ導いたと言われますが、ローマが強大化していったのも、おそらくはこの意識があったからこそでしょう。

こうして兵役は、義務であると同時に権利となったのです。

この制度を固めるため、セルウィウスは国勢調査(ケンスス)を実施しました。日本がまだ狩猟生活を送り、骨器を使っていた時代のことです。

この調査では財産なども把握され、それに応じて市民は6つの階級に分けられたと言われています。

さらに彼は、ローマ軍の戦術体系そのものも整備しました。「重装歩兵によるレギオン(軍団)」といえばローマの代名詞ですが、その原型はこの時代に確立されたとされます。

これらの政策により、セルウィウス・トゥリウス率いるローマ軍は連戦連勝を重ね、44年に及ぶ長い治世は、平和のうちに幕を閉じるかに見えました――。

セルウィウス・トゥリウスの評価

ローマでは、最も優れた者が王となります。

多少のネタバレを含むことになりますが、セルウィウスは「まともな王としては最後」の存在でもあります。

日本や中国の歴史と同じように、権力闘争は国家の衰退を招きます。世襲王朝が後半に差しかかると、為政者の質は低下していくものです。ローマの歴史も王政から帝政へと移り変わりましたが、この法則から逃れることはできませんでした。

セルウィウス・トゥリウスの時代はローマ王国の全盛期でしたが、その直後にローマ王国は滅亡します。

通常であれば、そこで国家は終わりです。ところがローマは、歴史上でも珍しく共和制へと移行しました。

それが可能だったのは、他ならぬ歴代のローマ王たちが築き上げた堅固な土台があったからです。

セルウィウスの政策の多くは先王タルクィニウスからの継承でしたが、彼はそれを見事に仕上げました。

6代続けて有能な君主が現れるというのは、世界史の中でも極めて稀なことであり、ローマが世界史上最高の帝国へと成長を遂げた秘密は、ここにあると言えるでしょう。