ヨーロッパの歴史

三世紀の危機:ローマ帝国「兵舎皇帝」時代の全貌――知られざる50年の混迷と再生

山川出版社の用語集によれば、セウェルス帝以降、あるいはアレクサンデル・セウェルス帝暗殺以降、ローマは「兵舎皇帝(バラックス・エンペラー)時代」と呼ばれる混乱期に突入する。わずか50年間で26人もの皇帝が立ち、そのほとんどが非業の死を遂げたこの時代について、主要な皇帝と出来事を時系列で整理する。

マクシミヌス・トラクスと「六皇帝の年」(235年~238年)

三世紀の危機:ローマ帝国「兵舎皇帝」時代の全貌――知られざる50年の混迷と再生

アレクサンデル・セウェルス帝が公然と暗殺されると、軍団兵によって推戴されたのがトレキア出身のマクシミヌス・トラクスである。セウェルス帝に見出された叩き上げの兵士で、その巨躯と怪力は伝説的だ。軍内での模擬戦16連勝の後、皇帝自ら「この馬についてこられるか」と問いかけ、馬を走らせた後に組み伏せて7人を投げ飛ばしたという逸話が残る。中国の呂布や楊大眼(梁の将軍)にも匹敵する武勇といえよう。

セウェルス朝に仕えた彼も、マクリヌス帝の時代には故郷トレキアで農業に従事していたが、エラガバルス帝の即位で復帰。アレクサンデル帝の死後、ゲルマニア戦線にいた部隊によって皇帝に推挙される。軍団長でも元老院議員でもなく、総督経験すらない純粋な「軍人皇帝」の誕生だった。62歳での即位を元老院は即座に承認した。

即位当年もゲルマン諸族を撃破するなど健在ぶりを示したが、ここで異変が起きる。北アフリカで80歳のゴルディアヌス1世が皇帝を名乗り、元老院もこれを認めたのだ。軍人上がりのマクシミヌスより、法務官・執政官を歴任したゴルディアヌスの方を歓迎したと思われる。さらにゴルディアヌスの二人の息子も共同皇帝とされ、マクシミヌスは「国家の敵」と宣言される。

三世紀の危機:ローマ帝国「兵舎皇帝」時代の全貌――知られざる50年の混迷と再生

しかし北アフリカでゴルディアヌス派の兵士が蜂起し、ゴルディアヌス1世とその息子ゴルディアヌス2世は戦死。慌てた元老院は新たにバルビヌスとプピエヌスの二人の共同皇帝を立ててマクシミヌスに対抗した。一方、ローマへ進軍中のマクシミヌスは自軍の兵士によって殺害される。その後、バルビヌスとプピエヌスも自軍の兵士に殺されるという有様だ。当時の人々も何が起きているのか理解できまい。238年だけで5人の皇帝が死ぬという、世界史上でも最悪クラスのカオスだった。

ゴルディアヌス3世とフィリップス・アラブス(238年~249年)

三世紀の危機:ローマ帝国「兵舎皇帝」時代の全貌――知られざる50年の混迷と再生

混乱する元老院はゴルディアヌス1世の孫、ゴルディアヌス3世を皇帝とする。13歳の若帝だったが、近衛隊長ティミシテウスの補佐により、兵舎皇帝時代としては最長の6年間在位した。治世はササン朝ペルシアとゲルマン諸族への対応に明け暮れたが、ティミシテウスの手腕で何とか持ちこたえていた。

しかし運が悪かった。ササン朝の創始者アルダシール1世が死去し、英雄シャープール1世が即位する。彼はローマ領を略奪し挑発を繰り返した。ローマ側は皇帝自ら出陣し勝利を収めたが、シャープールは政治的には巧みで、勝っても損害が大きい「勝って負け」の戦いを強いられた。特にティミシテウスの死は痛く、後ろ盾を失ったゴルディアヌス3世は、別の近衛隊長フィリップスによって暗殺される。

フィリップス・アラブスが即位し、ササン朝と講和するが、シャープールの要求で北メソポタミアを放棄せざるを得なかった。「以前にも見た光景だ……」と思わせる妥協だ。フィリップスは約5年統治し、ローマ建国1000年祭(サエクラレ祭)を執り行った皇帝として名を残すが、改革は機能しなかった。北方でゲルマン人が暴れだすと、フィリップスは自ら出ず、近衛隊長デキウスを派遣する。デキウスは兵士たちに推戴され皇帝となり、フィリップスと対決するが、フィリップス軍はデキウス側に寝返り、フィリップスは自殺した。これがこの時代の常なのか。

デキウスのキリスト教弾圧、ゲルマン侵攻、トレボニアヌス・ガッルス

日本では知名度が低いデキウスだが、ヨーロッパでは「キリスト教弾圧の皇帝」として有名だ。それまで聖職者等の指導者層に限られていた弾圧を、一般信徒にまで拡大したためである。しかし彼の最大の脅威はゲルマン人の侵攻だった。約30万ともいわれるゲルマン諸族が波状的に南下する。全盛期のマルクスなら撃退できたかもしれないが、衰えたローマ軍とデキウスには無理だった。ゲルマン人はローマ領を荒らして引き上げ、デキウスもこの戦いで戦死。遺体すら見つからず、異民族との戦闘で死んだ最初のローマ皇帝となった。

次期皇帝はモエシア総督トレボニアヌス・ガッルス。彼はゲルマンと講和したが、その弱腰姿勢に軍団は激怒。同じくモエシア総督のアエミリアヌスが謀反を起こし、ゲルマン陣営を奇襲する。これに触発されたゲルマン軍はさらに勢いづき、地中海沿岸まで達した。

三世紀の危機:ローマ帝国「兵舎皇帝」時代の全貌――知られざる50年の混迷と再生

ゲルマンとの戦いが泥沼化する中、ガッルスとアエミリアヌスへの不満が高まり、代わりに63歳のウァレリアヌスが支持を集める。略奪に満足してゲルマン軍が引き上げると、三つ巴の内戦となり、最終的にウァレリアヌスが勝利した。

歴史教科書の皇帝ウァレリアヌス(253年~260年)

三世紀の危機:ローマ帝国「兵舎皇帝」時代の全貌――知られざる50年の混迷と再生

セウェルスやカラカラを兵舎皇帝と見なさなければ、世界史教科書に登場する唯一の兵舎皇帝がウァレリアヌスだ。なぜ載るのか? 現職のローマ皇帝として史上初かつ唯一、ササン朝ペルシアの捕虜になったからだ。受験生時代、この名前を何度書かされたことか。1800年間、世界中の教科書で晒し者にされ続ける彼を思うと気の毒でならない。

ローマ衰退の象徴が、ウァレリアヌスの敗北と捕虜生活、そして捕虜のまま死んだ事実に尽きる。余談だが、彼は三頭政治のクラッススと同じリキニウス氏族の出身だ。クラッススはパルティア戦で捕虜になりそうになった際、側近に殺されて「恥辱」を免れたという。ウァレリアヌスにはその「逃げ道」すらなかった。ローマ側がこれを恥と考えたか、どう敗れたかの詳細は不明だが、彼はローマ皇帝史上最も不運な人物の一人だろう。

ガリエヌス帝と「ローマ三国志」

ウァレリアヌス捕虜の報を受け、息子ガリエヌスが単独皇帝となる。ササン朝との決戦を望んだかもしれないが、優先されたのはゲルマン戦線だった。北からゲルマン、東からササン。皇帝が捕虜になったと知れば、北方ゲルマンは一斉にローマ領へ雪崩れ込む。さらにペストがローマを蝕む。

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追い打ちをかけるように、ガリア総督ポストゥムスが「ガリア帝国」を、東方最高司令官オダエナトゥスの妻ゼノビアが「パルミラ帝国」を建国。ローマは三つに分裂した(詳細は別稿で)。四面楚歌の状態だ。通常なら滅亡だが、ローマは死ななかった。

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ガリエヌスは機動軍団を新設し、経済再建に努め、8年という兵舎皇帝時代としては長期政権を維持したが、最後は自らの騎兵隊に暗殺された。彼の治世下でローマの国力は著しく低下し、軍団の手中に完全に落ちてしまった。

クラウディウス・ゴティクス

三世紀の危機:ローマ帝国「兵舎皇帝」時代の全貌――知られざる50年の混迷と再生

ゲルマニクス(ゲルマニア制圧)、ブリタニクス(ブリタンニア制圧)といった称号がある中、この皇帝はゴート族を制圧したことから「ゴティクス」と呼ばれた。名門クラウディウス氏族を称したが、祖先はクラウディウス帝の時代に市民権を得た平民で、両親の名すら不明だ。中国の劉邦や朱元璋のような農民出身皇帝はヨーロッパでは極めて稀である。

在位わずか2年。その業績は名の通り、ゲルマン系ゴート族への大勝利だ。余談だが、『ルパン三世 カリオストロの城』のカリオストロ伯爵はこのゴート族の末裔という設定だ。クラウディウスは捕虜となったゴート族を軍団に編入し、農耕を教え、ローマ人として同化させた。彼らはローマの一員として他のゲルマン族と戦い、成果を上げた。文武両道の皇帝だったが、猛威を振るっていたペストに倒れた。

元老院は弟クインティッルスを擁立しようとしたが、アウレリアヌス率いる軍団が新帝を推戴し、元老院もこれに従った。クインティッルスは自殺したとされる。

兵舎皇帝時代の「名将」アウレリアヌスによる三国統一(270年~275年)

三世紀の危機:ローマ帝国「兵舎皇帝」時代の全貌――知られざる50年の混迷と再生

兵舎皇帝時代において、唯一「名将(マスター)」と呼びうるのがアウレリアヌスだ。在位5年と短いが、その功績は五賢帝に匹敵する。

彼はウァレリアヌス捕虜の際、ドナウ川流域というローマ最重要防衛線で発見された逸材だ。まずダキア属州を放棄する決断を下した。トラヤヌス帝が命がけで獲得したルーマニアの地だが、守り切れないと判断したのだ。東方へ転進し、パルミラ帝国のシリアを侵攻。ゼノビア女王を捕らえ、そのままガリア帝国へ軍を向けると、ガリア帝国は無抵抗で降伏。ローマは再統一された。国内ではアウレリアヌス城壁(現存)を築くなど内政にも手腕を発揮したが、ササン朝遠征中に部下によって暗殺される。この時代、「敵より味方が怖い」ことを痛感させられる。

空位期、タキトゥス帝、プロブス帝

三世紀の危機:ローマ帝国「兵舎皇帝」時代の全貌――知られざる50年の混迷と再生

アウレリアヌス死後、約5ヶ月間皇帝が不在だった。これまでは暗殺犯が次期皇帝になるのが常だったが、今回は暗殺者が処刑され、関係者も粛清された。

5ヶ月の空位を経て即位したのが、ローマ最高の歴史家タキトゥスの子孫を称するタキトゥス帝。75歳の高齢で固辞したが、ついに受諾した。彼は私財を国庫に納め、軍団再建に尽力したが、憎きササン朝遠征途中に病死する。

三世紀の危機:ローマ帝国「兵舎皇帝」時代の全貌――知られざる50年の混迷と再生

次期皇帝はアウレリアヌスの右腕、東方総司令官プロブス。「最初から彼にやれよ」と言いたくなる人材だ。プロブスはゲルマン対策として「同化政策」を採用した。「征服してもローマに住む場所はない」と考え、ゲルマン人を領内に受け入れ、農民・兵士として同化させた。これが功を奏し、兵舎皇帝時代後の比較的安定した時代を生む一方、後世のローマ滅亡の遠因ともなった。

プロブスは有能な指揮官で、自称皇帝が次々現れる「30人の僭称皇帝時代」を鎮圧した。ウァレリアヌスの無念を晴らすべくペルシア遠征を準備中、この時代の定め通り、自軍の兵士に暗殺された。

カルス、ヌメリアヌス、カリヌス、そして新時代へ

次の皇帝は近衛隊長カルス。皇帝暗殺を防げなかった近衛隊長が皇帝になる皮肉だが、文句を言える余裕などなかった。カルスはササン朝を大破する活躍を見せるが、落雷により死去という不運な最期を遂げる。

その後、息子のヌメリアヌスとカリヌスが継ぐが、ヌメリアヌスは何者かに暗殺される。284年、カリヌスも暗殺された。カリヌスの死をもって、血で血を洗う兵舎皇帝時代は終わり、ローマ「市民元首(プリンケプス)」の息の根も完全に止まった。

ローマ皇帝はもはやローマの「第一市民」ではない。時代は新たなカリスマを持つ強力な英雄の出現を求めていた。その声に応え、次世代に一人の英雄がローマへ現れる。元首政(プリンキパートゥス)は終わり、強力なカリスマによる専制政(ドミナートゥス)の時代へ。新生ローマ帝国の誕生だ。
ローマは、何度でも蘇る!