ヨーロッパの歴史

シャーロック・ホームズの生みの親も恐れた?ポーランドで起きた公爵殺害事件の謎

公爵の遺体が森の中で発見された。逃げようとした瞬間を狙って撃たれたのだという。最初の弾丸は背骨を直撃し、もう一発は耳の後ろに命中した。「二発目の弾丸は眼球を吹き飛ばした」と、検死を担当した医師は語った。公爵を殺したのは友人だったのか?それとも、シャーロック・ホームズの生みの親アーサー・コナン・ドイルすらも恐れた誰かなのか?

実在の事件から生まれた「まだらの紐」

西アフリカ勤務のイギリス将校の寝室に、ニシキヘビが忍び込んだ。幸い男は土壇場で目を覚まし、天井の扇風機から垂れ下がる巨大な影を目撃して、確実な死を免れた。新聞で読んだこの報道に強い興味を引かれたアーサー・コナン・ドイルは、短編小説「まだらの紐」を書き上げたのである。

彼にはこうしたインスピレーションの源が他にもあった。どうやらドイルは、実生活から題材を取るのが好きだったようだ。実際、「まだらの紐」をはじめとする名探偵シャーロック・ホームズシリーズで名声を得ると、著者の元には、現実の犯罪の謎やスキャンダルの解決を求める手紙が届くようになったという。

シャーロック・ホームズの生みの親も恐れた?ポーランドで起きた公爵殺害事件の謎

アーサー・コナン・ドイル。歴史上最も有名な探偵の姿は彼に負っている。

無謀な試みに思えるかもしれない。犯罪小説の作家と探偵は別物のはずだ!ところが、この作家は驚くほど優れた成果を収めていた。たとえば、スタッフォードシャーで家畜を傷つけた罪に問われた、インド移民の家庭出身の弁護士ジョージ・エダルジの事件を見事に解決してみせたのである。

警察が「善意の人々」が広めた根拠のない噂を信じ込み、事実を無視していたことが判明したのだ。アーサー・コナン・ドイルはこれを指摘することを恐れず、エダルジの釈放と名誉回復を実現させた。

ホームズの生みの親はまた、グラスゴーの裕福な老婦人殺害の罪で終身刑を宣告されたオスカー・スレイターという男のためにも立ち上がった。1912年のパンフレットで作家が述べたように、スレイターは明白な証拠のないまま、状況証拠だけをもとに投獄されていたのである。

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アーサー・コナン・ドイルがいなければ、ジョージ・エダルジは長年獄中に繋がれたままだったかもしれない。

助けてください!ワルシャワより

アーサー・コナン・ドイルの評判を考えれば、当時のポーランドからも助けを求める手紙が届いたとしても不思議ではない。正確には、ツァーリ当局に踏みにじられていたポーランド会議王国という「代用国家」からの手紙だった。

1913年10月19日、ワルシャワ

拝啓

私は長年あなたの忠実で感謝に満ちた読者の一人です。だからこそ、全くの他人であり外国人である私が、これらの言葉をしたためることをお許しください。間もなくワルシャワで、史上最もセンセーショナルなものになりそうな殺人裁判が始まります。

被害者のリュベツキ公爵と、容疑者であるその友人ド・ビスピング氏は、ワルシャワ社交界ではよく知られた人物です。ビスピングは自分の潔白を主張しており、彼を知る者は皆、彼がそんな犯罪を犯せるはずがないと言っています。しかし今のところ、数多くの状況証拠によって彼は拘束されており、他の犯人や容疑者は見つかっていません。

まさにこの謎の解決のために、私はあなたに手紙を差し上げる次第です。ワルシャワにお越しいただき、ド・ビスピング氏の弁護士に貴重な助言をお与えいただくお気持ちはありませんか?あなたがそのような調査を引き受けてくださると考えるのは、私の思い違いかもしれません。しかし、もし解決に協力してくださるお気持ちがあるなら、旅費や滞在費を含めて、どのような報酬をご希望でしょうか?

まだビスピング家にあなたの支援を提案してはいませんが、ご許可いただければすぐに手紙を書きます。あなたのお名前と著作はロシアでもポーランドでもよく知られており、あなたのご助力は最大の感謝をもって迎えられると確信しています。お時間を頂戴することをお詫びしますが、私はあなたの熱心な崇拝者の一人です。

フェリックス・ド・アルペール

シャーロック・ホームズの生みの親も恐れた?ポーランドで起きた公爵殺害事件の謎

これは、ヴワディスワフ・ドゥルツキ=リュベツキ公爵殺害事件についての手紙だった。事件は1913年4月21日、ワルシャワ近郊テレシンの森で起こった。被害者は、かつてポーランド王国の財務大臣を務めた裕福で影響力のある人物の孫であり、悲劇の死を遂げるわずか4年前に、テレシンの地所を購入したばかりだった。

容疑者のヤン・ビスピングは被害者のビジネスパートナーで、マサラヌィのオルディナト(世襲荘園主)であり、教皇侍従の名誉称号を持つ人物だった。妻はザモイスカ家出身のマリア――ラジヴィウ公爵の未亡人である。まさにエリート中のエリートの人々だったのだ!

テレシンの謎

犯罪の知らせがワルシャワに届くと、衝撃と不信、そして……情報への飽くなき渇望が巻き起こった。記者たちは司法当局を追って現場へ向かった。第一次世界大戦勃発前のポーランド会議王国全体が、この裁判に心を奪われたのである。

残念ながら、アーサー・コナン・ドイルは友人ド・アルペールの懇願に耳を貸さず、ヴィスワ川のほとりには来なかった。現地では数百人の証人が尋問されたが(ただし犯行の直接目撃者は一人もいなかった)、ドゥルツキ=リュベツキとビスピングが金銭をめぐって争っていたことが示唆された。

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『イラストレーテッド・ウィークリー』の挿絵に描かれたオルディナト、ヤン・ビスピング。

検死報告書は遺体の状態を次のように記述している。「まず、顔と頭部に十数か所の打撲傷・切り傷が見つかったが、いずれも浅く、直接の死因となり得るものではなかった。

さらに、小口径の銃器によると思われる二つの銃創が確認された。両方とも至近距離から背後を狙って撃たれたもので、一つは背骨の右側、もう一つは耳の後ろだった。二発目の弾丸は眼球を吹き飛ばした。

公爵は体格が華奢で、際立った体力の持ち主ではなかった。すべての状況は、襲われた人物が突然身を守ろうとし、危険を察知すると(公爵は武器を持っていなかった)、逃走したことを物語っている。その直後に犯人の銃弾が放たれ、両方とも致命傷となった」

凶器はビスピングのものであり、死者の手袋からは彼の毛髪が見つかった。裁判所に疑いの余地はないように見えた。ビスピングは有罪とされ、激昂のあまり犯した殺人罪で刑を宣告された。しかしその控訴と、その後14年に及ぶ裁判(当初はロシアの、のちにはポーランドの法廷で)が、ついに彼の無罪を勝ち取ったのである。

シャーロック・ホームズの生みの親も恐れた?ポーランドで起きた公爵殺害事件の謎

第一審の法廷はヤン・ビスピングに有罪判決を下し、激昂による殺人罪で刑を科した。しかしこれは14年に及ぶ司法の戦いの始まりにすぎず、その結果、オルディナトは最終的に無罪となった。

凶器と毛髪という証拠は決定的とは言えなかった。さらに、ビスピングは手の不全麻痺を患っていた。では、どうやってドゥルツキ=リュベツキを殴りつけ、逃げ出させるほどの暴行を加えられたというのか?辻褄が合わなかったのである。

オフラーナが探偵を怖れさせたのか?

では、もしビスピングが犯人でないなら、真犯人は誰なのか?そして、これはシャーロック・ホームズの生みの親がこのスキャンダルに関わることを嫌がったことと、何か関係があるのだろうか?

著書『コナン・ドイル 探偵』の中でピーター・コステロは、作家はこの事件が抱える可能性のある政治的波紋を恐れていたのかもしれないと指摘している。ロシア当局に厳しく統治されたポーランド会議王国は、法治国家イギリスとは違った。ツァーリの警察は、自らの過ちを指摘されることを許さなかっただろう。ホームズの生みの親にとって、それは異質の、敵対的ですらある環境だったはずだ。

ビスピングの継子にあたるミハウ・ラジヴィウによれば、ツァーリの密偵たちの犯行への関与は公然の秘密だったという。「リュベツキを殺したのはロシアの工作員です。彼はバロン・ド・ビスピングとともに、大規模な要塞化が計画されていたグロドノ要塞周辺の土地を取得しました。進行中の工事について詳細な知識を持つ二人のパートナーを、彼らは始末したかったのです」

では、作家探偵はツァーリの秘密警察オフラーナに怯えていたのだろうか?それは心穏やかならぬ話だ。私たちはむしろ、彼を止めるものは何もない――そして彼の生んだ探偵を止めるものもない――と信じたいところである。

シャーロック・ホームズの生みの親も恐れた?ポーランドで起きた公爵殺害事件の謎

ヤン・ビスピング男爵の事件を裁いた裁判官たち。彼らの判断の背後にツァーリのオフラーナがいたのか?

あるいは、事態は違ったのかもしれない。もしかすると作者は、自らの財産を守る十分な資源を持っているように見えた富裕な貴族の事件に関わりたくなかったのかもしれない。もしアーサー・コナン・ドイルが、ツァーリの諜報機関による陰謀が絡んでいることを知っていたなら――そのとき初めて、彼はそれをシャーロック・ホームズの父にふさわしい挑戦だと考えたのではないだろうか?

世界史に残る知られざるポーランドの足跡については、アダム・ヴェングロフスキ著『あらゆることの、とてもポーランドな歴史』(Znak Horyzont、2015年)に詳しい。