ヨーロッパの歴史

フォート・ヘンリーとドネルソンを攻略したのは誰?グラント将軍が成し遂げた南北戦争の重要な勝利

北軍テネシー軍を率いたユリシーズ・S・グラント

アメリカ南北戦争中の1862年2月、フォート・ヘンリーとフォート・ドネルソンの二つの要塞を攻略したのは、北軍(連邦軍)テネシー軍を指揮するユリシーズ・S・グラント准将でした。この一連の勝利は、開戦以来低迷していた北軍にとって最初の本格的な成功となり、後のグラントの名声を確立する大きな転換点となりました。

フォート・ヘンリーの陥落(1862年2月6日)

1862年2月6日、グラント軍はテネシー川沿いに位置するフォート・ヘンリーへの攻撃を開始しました。アンドリュー・H・フット代将率いる北軍砲艦隊による激しい艦砲射撃を受けた南軍は、要塞の維持を断念。守備隊の大半は東方約18キロメートルにあるフォート・ドネルソンへと退却していきました。

フォート・ドネルソンの攻略と「無条件降伏」の誕生(1862年2月16日)

続く10日間で、グラント軍はカンバーランド川沿いの要塞フォート・ドネルソンを包囲しました。包囲網突破を図った南軍の攻撃は失敗に終わり、指揮官ジョン・B・フロイドとギデオン・J・ピローが脱出して撤退すると、シモン・B・バックナーが指揮を引き継ぎました。
降伏交渉の場で、グラントは「無条件の降伏以外は一切受け付けない」と回答します。この毅然とした姿勢から、彼には「無条件降伏(Unconditional Surrender)」という愛称が付き、以後この言葉は彼の代名詞となりました。そして1862年2月16日、約1万2000名の南軍兵士が捕虜となる史上最大級の降伏の中で、要塞は陥落しました。

勝利がもたらした歴史的意義

この二つの要塞の喪失により、テネシー州西部とケンタッキー州中部を守る南軍の防衛線は崩壊しました。北軍はテネシー川とカンバーランド川という二つの重要な水路を掌握し、南部深部への侵攻路を確保することになります。この勢いは同年4月のシャイローの戦いへとつながり、さらにグラント自身も国民的英雄として頭角を現し、やがて北軍総司令官へと昇りつめていくのです。