ヨーロッパの歴史

ポーランド人が誇らしくなる歴史の10の事実

フサリア(ポーランド翼騎兵)の華々しい戦果。モンテ・カッシーノで見せたポーランド・コマンド部隊の驚異的な活躍。そして、なんとイギリス人が…「皿洗い」目当てでポーランドへやって来たという話まで。これらの物語は、すべてのポーランド人の心を明るくしてくれることでしょう。


時代を縦断する今回の特集では、私たちの歴史の中に、心から誇りに思えるエピソードが数多く存在することを示す証拠を、皆さんにお届けします。


いつものように、TOP10のすべての項目は、当サイトで公開してきた記事に基づいています。


私たちには誇るべきことがたくさんある。その理由とは――


10. 戦間期のポーランド人暗号解読者は、正真正銘のプロフェッショナルだった

彼らはエニグマの解読にとどまらず、ポーランド・ソビエト戦争の勝利にも大きく貢献しました。その名声はあまりに高く、遠く日本からも暗号の専門家がヴィスワ川のほとりへ研究に訪れたほどでした。


9. 16〜17世紀、ポーランドはブリテン諸島からの渡来者にとって「約束の地」だった

なかでもスコットランド人は、ヴィスワ川を目指す旅をこよなく愛しました。2世紀にわたり、何万人ものスコットランド人がこの国にやって来たのです。あるスコットランド人旅行者は、こう率直に書き残しています。「ポーランドは、われわれの共同体の母であり、最良の商人たちの富が生まれた場所であると言えるだろう」。つまり近世においては、チャンスを求めて海を渡ってきたのは、イギリス人のほうだったというわけです!


8. ポーランド人は、どんなに困難な状況でも必ず打開策を見つける

まさにそうなったのが1939年の春です。ドイツ情報機関の妨害により、オランダの造船所から潜水艦ORPセンプ(Sęp)の引き渡しが阻まれた際、通常の手段での解決を断念したポーランド側は、その艦を…丸ごと「誘拐」してしまうことに決めました。ポーランド人に不可能はないのです。


7. 国内軍(Armia Krajowa)の数々の作戦は、そのまま映画化できるほど劇的だった

なかでも最も壮大だったのが、ピンスクのゲシュタポに捕らえられた囚人たちの奪還作戦です。この完璧に遂行された作戦を指揮したのは、伝説的なヤン・ピヴニク「ポヌール」中尉。市内には敵の将兵3000人が駐留していたにもかかわらず、味方の犠牲者は一人も出ませんでした。


6. 第二次ポーランド共和国時代の飛行士たちは、数々の目覚ましい偉業を成し遂げた

なかでも最大級の功績を誇るのがスタニスワフ・スカルジニスキ大尉です。彼は大西洋を単独横断飛行した初めてのポーランド人となり、同時に軽飛行機による飛行距離の世界記録を樹立しました。しかも、スーツ姿のままですべてをやり遂げたのです。


5. 第一次世界大戦中のポーランド独立地下組織は、ドイツ占領軍に一瞬の休息すら与えなかった

資金調達のための強制的な押収や破壊工作は定期的に実施され、最も反ポーランド的な官吏や将校への襲撃も日常茶飯事でした。


4. 第二次世界大戦中、ポーランドのコマンド部隊は連合軍屈指の特殊部隊だった

彼らは1944年5月のモンテ・カッシーノ攻防戦でその評判を証明してみせました。「死の天使の山」と呼ばれた高地の攻略戦において、第1独立コマンド中隊の隊員たちは、類まれな勇気を発揮したのです。


3. ポーランドの潜水艦は、驚くべき機転と不屈の精神を備えていた

1939年9月、ORPオジェウ(Orzeł)がタリンで抑留されたとき、乗組員たちは決して諦めませんでした。艦の武装を解除され、海図や航海日誌を没収されても、水兵たちは脱出と、未知の海域への航海を決意したのです。1500海里を走破し、幾多の危険を乗り越えて、彼らはついにイギリスへたどり着きました。


2. ポーランド人パイロットたちはドイツ軍との戦いを強く望むあまり、ほとんど何ものも彼らを止められなかった

もちろん、ルーマニアでの抑留生活など障害ではありませんでした。彼らは捕虜収容所からの脱出の名人でした。その離れ業の数々は、そのままアクションコメディの脚本に使えるほどです!


1. フサリア(ポーランド翼騎兵)が「史上最強の騎兵」と呼ばれるのには、それなりの理由がある

わが騎兵にとって、敵が10倍の兵力であろうと18倍であろうと、大きな問題ではありませんでした。25対1という圧倒的に不利な戦力比にあっても、フサリアは敵を打ち破ることができたのです。


いかがでしたか? 苦難の歴史を歩んできたポーランドですが、振り返れば胸を張れる輝かしい物語にも事欠きません。あなたのお気に入りのエピソードは、どれでしょうか。