ヨーロッパの歴史

17世紀末のイギリスは「議会君主制」として説明できるのか?

17世紀末のイギリスはどのような国家だったのか

結論から述べると、17世紀末までのイギリスは「議会君主制(立憲君主制)」として説明することができます。国王が存在しながらも、その権力は議会によって制限されるという、近代イギリス政治体制の原型がすでに形成されていたのです。

名誉革命(1688年)と絶対王政の終焉

この転換点となったのが、1688年の名誉革命(Glorious Revolution)です。この革命は、イギリスにおける絶対王政の終わりを決定的に画する出来事でした。革命を通じて、国王の権力が議会によって制約される統治体系が確立され、「国王が議会なくして統治できない」という原則が定着していきました。

なお、名誉革命の翌年である1689年に制定された「権利章典(Bill of Rights)」は、議会の承認なしに課税や常備軍の維持を行わないことなどを国王に義務づけ、議会主権の方向性を法的に裏付けるものとなりました。

支配層を形成した地主貴族と商人階級

名誉革命のもう一つの重要な帰結は、地主貴族、ジェントリ(郷紳)、そして商人階級といった勢力の権力が一層強固になったことです。彼らはイギリス社会の支配的エリート層を形成し、以後の政治・経済の発展において中心的な役割を果たすことになりました。

こうした動きは、後の産業革命や議会政治の発展へとつながる土台となり、イギリスがヨーロッパでいち早く近代的な国家体制への道を歩む出発点となったといえます。