結論から言えば、冷戦期間(1947年~1991年)を通じて、ソ連が米国に宥和したことはありませんでした。両国の関係は、一貫して緊張と敵対関係の中にあり、時折見られた協調の動きも、あくまで限定的かつ一時的なものでした。
対立と緊張が支配した時代
冷戦の大部分において、米ソ関係は激しい緊張状態にありました。両超大国は直接武力衝突こそ避けたものの、世界中で覇権を巡って鋭く対立しました。
緊張を象徴する出来事
- ベルリン封鎖(1948~49年):ソ連による西ベルリン遮断が、冷戦最初の重大な危機となりました。
- 朝鮮戦争(1950~53年):東西陣営が代理戦争の形で正面から衝突しました。
- キューバ危機(1962年):核戦争の瀬戸際まで至った、冷戦最大の対立事件です。
- ベトナム戦争やアフガニスタン侵攻:地域紛争を通じた間接的な対立が続きました。
存在したのは「限定的な協調」のみ
とはいえ、全面的な敵対だけが続いたわけではありません。1970年代にはデタント(緊張緩和)と呼ばれる時期があり、SALT(戦略兵器制限交渉)やABM条約といった軍備管理協定が結ばれました。また1980年代後半には、中距離核戦力(INF)全廃条約の締結など、米ソ間の協力も進みました。
しかし、これらの協調は思想面・地政学面での根本的な対立を解消したものではなく、相互確証破壊(MAD)に基づく抑止のバランスの中で、核戦争を回避するための実務的な合意にすぎませんでした。
まとめ
ソ連は米国に対して譲歩や妥協によって平和を買い求める「宥和」政策を取ることはなく、強硬な姿勢と抑止力によって自らの立場を守り抜きました。冷戦の米ソ関係とは、緊張と敵対を基調としながら、限られた場面でのみ協調が見られた関係だったと言えるでしょう。