1830年のフランス革命(七月革命)とは
1830年7月にフランスで起こった革命は、「第二次フランス革命」とも呼ばれ、一般には七月革命として知られています。この革命の最大の原因となったのは、当時の国王シャルル10世(在位1824年~1830年)による強権的・専制的な統治でした。
シャルル10世は王権神授説的な絶対主義の復活を目指し、報道の自由や議会の権限を次々と制限していきました。こうした動きに対して国民の不満が高まり、ついに蜂起へと発展したのです。
革命の直接の引き金――七月勅令
1830年7月、シャルル10世は反政府的な議会に対抗するため、七月勅令(四つの勅令)を発布しました。その内容には以下のようなものがありました。
- 議会(代議院)の解散
- 選挙権の制限と選挙資格の厳格化
- 出版・報道の自由の停止
これらの勅令は立憲君主制の根幹を揺るがすものであり、パリ市民の怒りに火をつけました。
わずか3日間で決着した「栄光の三日間」
革命は7月27日から29日までのわずか3日間で決着しました。このことから「栄光の三日間(Les Trois Glorieuses)」とも呼ばれています。パリではバリケードが築かれ、市民や労働者、学生たちが王政に立ち向かいました。
圧倒的な民衆の力を前に、シャルル10世は退位を余儀なくされ、イギリスへ亡命しました。こうしてブルボン朝の復古王政は幕を閉じたのです。
ルイ・フィリップの即位と「七月王政」の始まり
革命後、議会の議員たちは新たな国王として、シャルル10世の従兄弟にあたるオルレアン公ルイ・フィリップを選びました。彼は「フランス人の王(Roi des Français)」として即位します。
これは特定の血統による「フランスの王」という従来の概念とは異なり、国民の意思に基づく君主という新しい考え方を示すものでした。ルイ・フィリップの治世は「七月王政」と呼ばれ、ブルジョワジーを中心とした立憲君主制の時代が始まりました。
まとめ
1830年のフランス革命は、シャルル10世の専制的な政治への反発が引き起こしたものであり、わずか3日間という短期間で王の退位という結果をもたらしました。この革命は、フランスにおける立憲主義と国民主権の理念を前進させるとともに、後のヨーロッパ各地の自由主義運動にも大きな影響を与えました。