ボリシェヴィキによるロシア政府の乗っ取りを「許可した」特定の個人や組織は、実は存在しませんでした。ボリシェヴィキの台頭とその後の政権掌握は、当時の激動するロシアの政治情勢の中で作用した、数多くの要因が複雑に絡み合った結果だったのです。
ここでは、ボリシェヴィキが権力を握ることを可能にした主な要因を5つの観点から解説します。
1. 臨時政府の脆弱性
1917年の二月革命によってツァーリ(皇帝)体制が崩壊すると、ロシアには臨時政府が樹立されました。しかし、この臨時政府は政治的・経済的な課題に効果的に対処することができず、国民の信頼を次第に失っていきました。さらに、ウラジーミル・レーニン率いるボリシェヴィキをはじめとする左派勢力からの強い挑戦に直面することになります。
2. ボリシェヴィキの優れた政治戦略
ボリシェヴィキは高度に組織化され、政治感覚にも極めて優れた集団でした。レーニンは「平和・土地・パン」という分かりやすいスローガンを巧みに活用し、政治的にも社会経済的にも不満を抱えていた農民、兵士、労働者たちの広範な支持を獲得することに成功しました。
3. ロシア社会の深刻な政治的分裂
当時のロシア社会は、さまざまな問題をめぐって深く分裂していました。自由主義者、保守派、さらにはボリシェヴィキ以外の社会主義諸政党など、権力を争う複数の政治勢力が乱立していたのです。臨時政府とその非効率な政策では、こうした深刻な対立や分裂を橋渡しすることは到底できませんでした。
4. 十月革命――武装蜂起の決行
1917年11月(当時ロシアで用いられていたユリウス暦では10月)、ボリシェヴィキはペトログラードにおいて武装蜂起、すなわち「十月革命」を実行します。彼らは臨時政府の軍事力を打ち破り、冬宮(ウォーレイ宮殿)を含む国家の重要機関を次々と掌握することに成功しました。
5. 革命後の展開と権力の確立
政権を握った後も、ボリシェヴィキの道のりは平坦ではありませんでした。対立する政治勢力からの激しい抵抗に直面し、それが長期にわたるロシア内戦へと発展します。しかし、この内戦を制することで、1920年代初頭までにはボリシェヴィキの支配権はロシアの大部分において揺るぎないものとなりました。
まとめ
つまり、ボリシェヴィキ政権の誕生は、単一の外部勢力が実現させたものではありません。臨時政府の弱体化、ボリシェヴィキ自身の戦略的能力、社会の分裂、そして武装蜂起という一連の内的要因が積み重なった結果、彼らは権力を掌握し、最終的にその指導の下で新しいソビエト国家を樹立するに至ったのです。