ロシアの共産主義者は、その初期にはボリシェヴィキ(Bolsheviks)と呼ばれていました。ボリシェヴィキとは、ロシア社会民主労働党(RSDLP)内の一派を指す名称であり、後に1917年のロシア革命において政権を掌握することとなる勢力です。
ボリシェヴィキの誕生
ボリシェヴィキという名称は、1903年にロンドンで開催されたロシア社会民主労働党の第2回大会にまで遡ります。この大会では党の方針をめぐって意見が対立し、ウラジーミル・レーニンが率いる急進派が党内の多数派となったことから、「多数派」を意味する「ボリシェヴィキ」と呼ばれるようになりました。一方、穏健派は「少数派」を意味する「メンシェヴィキ」と呼ばれ、両者はやがて完全に分裂しました。
1917年の革命と権力掌握
1917年、ロシアでは二月革命によって帝政が崩壊し、その後の十月革命においてボリシェヴィキが実権を握りました。指導者であるウラジーミル・レーニンは、世界初の社会主義国家の樹立を実現し、1922年に成立したソビエト連邦(ソ連)の初代指導者となりました。
ソビエト連邦共産党への改称
ボリシェヴィキはその後、党名を幾度か変更し、最終的にソビエト連邦共産党(CPSU)へと改称されました。同党は1991年のソ連崩壊まで、約70年間にわたってソ連の唯一の与党として国家を支配し続けました。