「フランス国民がナポレオンに二度目のチャンスを与えた」というのは、実は正確な説明ではありません。ナポレオンは民衆の選択によって正式に権力を取り戻したのではなく、武力と政治的な駆け引きによって復位したのです。
最初の亡命――エルバ島へ
1814年、ライプツィヒの戦い(諸国民戦争)での敗北や連合軍によるパリ占領を受けて、ナポレオンは退位を余儀なくされました。彼は地中海の小島エルバ島への追放処分を受けます。しかし、島での幽閉同然の生活に甘んじることなく、わずか約10か月で脱出を決意しました。
「鷲の飛翔」――力ずくでの帰還
1815年3月1日、ナポレオンは少数の部下とともに南仏ゴルフ=ジュアンに上陸し、アルプス越えでパリを目指して進軍しました。その途上で旧部下の兵士たちが次々と彼の旗下に加わり、王政復古していたルイ18世はパリを捨てて逃れます。こうしてナポレオンは再び権力の座に就き、この期間は「百日天下」と呼ばれています。
確かに、進軍の道中で多くの民衆や将兵がナポレオンを熱狂的に歓迎する場面もありました。しかし、これは国民が民主的な手続きで彼に「二度目のチャンス」を与えたというものではなく、彼自身の決断と軍事的圧力による復位だったのです。
ワーテルローの敗北と最期
復位後のナポレオンはヨーロッパ列強との対立を避けられず、1815年6月18日のワーテルローの戦いでウェリントン公率いるイギリス・オランダ軍およびプロイセン軍に完敗しました。
敗北によりフランス国内での政権維持は不可能となり、ナポレオンはイギリスに降伏します。しかし今回は寛大な処遇は与えられず、大西洋上の孤島セントヘレナ島へ追放されました。監視下の厳しい環境の中で健康を害したナポレオンは、1821年5月5日、同島で52年の生涯を閉じたのです。
まとめ
ナポレオンの復位は、国民から与えられた「二度目のチャンス」ではなく、自らの手で奪い返した権力でした。そしてワーテルローの敗北によって、彼は完全に歴史の舞台から去ることになったのです。