ヨーロッパの歴史

ベルサイユ条約の「ビッグスリー」とは?パリ講和会議を主導した三巨頭を解説

第一次世界大戦の終結後、1919年に開催されたパリ講和会議において、講和条件の策定を事実上主導した三人の指導者は、歴史上「ビッグスリー(三巨頭)」と呼ばれています。

ビッグスリーと呼ばれた三人の指導者

デビッド・ロイド・ジョージ(イギリス首相)

イギリスを代表したのは、自由党出身の首相デビッド・ロイド・ジョージです。彼は戦時中から強力な指導力を発揮し、戦後はドイツへの過度な報復が欧州経済の安定を損なうことを懸念していました。そのため、ドイツの復讐心を煽らない程度の制裁と、イギリスの海洋覇権および植民地利益の確保という、現実的かつ妥協的な立場を取ったことで知られています。

ジョルジュ・クレマンソー(フランス首相)

フランスのジョルジュ・クレマンソーは、「トラ(虎)」の愛称で恐れられた強硬派の指導者です。国土の大部分が戦場となり、甚大な被害を受けたフランスにとって、最優先課題は二度とドイツの脅威にさらされないことでした。彼はドイツに対する厳しい賠償金の要求、軍備の制限、ラインラントの非武装化などを強く主張し、ヴェルサイユ条約の厳罰主義的な性格を形作る大きな存在となりました。

ウッドロー・ウィルソン(アメリカ大統領)

アメリカ合衆国のウッドロー・ウィルソン大統領は、理想主義的な外交理念で会議に臨みました。彼が提唱した「14カ条」には、民族自決の原則や秘密外交の廃止、そして国際紛争を話し合いで解決するための国際連盟の設立構想が含まれていました。ヨーロッパ諸国の利害対立に翻弄されながらも、国際連盟規約を講和条約に組み込むことに成功しました。ただし、アメリカ本国では上院が条約を批准せず、結果的にアメリカは国際連盟に加盟しないという皮肉な結末を迎えています。

三者の思惑とヴェルサイユ条約への影響

ビッグスリーの間では、対独政策をめぐって激しい綱引きが行われました。報復を求めるクレマンソー、均衡を重視するロイド・ジョージ、理想を掲げるウィルソン——この三つの立場のせめぎ合いの末に成立したのが1919年6月28日調印のヴェルサイユ条約です。

厳しい賠償義務と領土削減を課されたドイツ国内では、この条約が屈辱的なものとして受け止められ、後の政情不安やナチス政権台頭の一因になったとも言われています。ビッグスリーの選択が20世紀の歴史に与えた影響は、決して小さくなかったのです。