第一次世界大戦後の講和会議がベルギーに与えた影響
第一次世界大戦(1914年〜1918年)において連合国側として参戦し、国土を戦場としながら多大な犠牲を払ったベルギーは、1919年のパリ講和会議とその結果として締結されたヴェルサイユ条約により、領土と国際的役割の両面で重要な利益を獲得しました。主な内容は以下の通りです。
1. オイペン=マルメディの獲得(ドイツから移管)
ヴェルサイユ条約により、ドイツは国境付近のオイペン=マルメディ(Eupen-Malmédy)地域をベルギーへ割譲しました。この地域は第一次世界大戦以前、プロイセン王国の一部であり、住民の大多数がドイツ語を母語とするドイツ系の人々でした。こうしてオイペン=マルメディはドイツからベルギーに移管され、現在でもベルギー国内のドイツ語圏として存続しています。
2. 東アフリカにおける旧ドイツ領の受託
ヴェルサイユ条約のもと、ドイツはすべての海外植民地を喪失しました。そのうちドイツ領東アフリカ(現在のタンザニア、ルワンダ、ブルンジに相当する地域)の一部であるルワンダ=ウルンジ地域がベルギーに与えられました。
ただし、この地域は正式な領土併合ではなく、国際連盟の委任統治規定に基づき、ベルギーが管理を委ねられた「委任統治領」でした。ルワンダ=ウルンジはルワンダとウルンジという二つの地域に分けて統治され、最終的に1962年にはルワンダとブルンジとしてそれぞれ独立を果たしました。
まとめ
講和会議の結果、ベルギーはヨーロッパにおいてはオイペン=マルメディという新たな領土を、海外においてはアフリカ中央部の委任統治領を手に入れました。これらは戦時中のドイツ軍占領による損害への補償という側面を持つ一方で、後にアフリカ地域の民族問題や独立運動の展開にも影響を及ぼすこととなりました。