1917年の二月革命によってロシア帝国が崩壊し、臨時政府が樹立されると、多くの人々は長引く戦争の終結を期待しました。しかし、臨時政府は第一次世界大戦への参戦を継続する道を選びます。この決断の背景には、国内外を問わず複数の重要な要因が絡み合っていました。本記事では、その理由を6つの視点から詳しく解説します。
1. 愛国心と祖国防衛の意識
激しい政治的変動の中にあっても、多くのロシア兵や市民は祖国への愛国心と献身の念を保ち続けていました。彼らは、外国の敵から国土を守ることが何よりも重要であると信じており、この感情が戦争継続を支える大きな基盤となりました。前線の兵士たちの間でも、「革命は実現したが、戦争はまだ終わっていない」という意識が広く共有されていたのです。
2. ドイツの過酷な講和条件への反発
ドイツとの講和交渉の可能性も模索されましたが、ドイツ側は広大な領土の割譲を含む極めて過酷な条件を提示しました。これを受け入れれば、ロシアは重要な領土と資源を失うことになります。臨時政府はこうした損失を回避するため、単独講和ではなく戦争の継続を選択せざるを得ませんでした。なお、後にボリシェヴィキ政権が締結したブレスト=リトフスク条約では、ロシアは実際に莫大な領土を失うこととなります。
3. 政府内部の政治的圧力
臨時政府内部では、リベラル派、保守派、中道社会主義者など、さまざまな政治勢力が参戦の継続を支持していました。彼らの多くは、連合国に対する戦時中の約束を果たすことはロシアの道義的責務であると考えていました。単独講和は同盟国への「裏切り」と見なされかねず、そうした批判を避けたい思惑も、講和への抵抗につながりました。
4. 連合国からの圧力
イギリスやフランスなどの連合国は、東部戦線での戦部戦線での戦闘継続を臨時政府に強く求めました。連合国はロシアへ財政的・軍事的援助を提供しており、ロシアが戦線から離脱してドイツに決定的な優位をもたらすことを何としても防ぎたかったのです。援助への依存が深まるほど、臨時政府が連合国の意向に逆らうことは難しくなっていきました。
5. ドイツによる東欧支配への懸念
政府内部には、もしドイツが戦争に勝利すれば、東欧全体がドイツの勢力圏に組み込まれるだろうという強い危機感がありました。ロシアの安全保障と国益を守るためにも、戦いを続けてこの事態を阻止しなければならない——そんな判断が、参戦継続の重要な動機となっていたのです。
6. 輿論の動員とプロパガンダ
臨時政府はプロパガンダを積極的に活用し、戦争遂行に対する国民の支持を獲得しようとしました。この戦争を「ドイツ帝国主義との闘い」と位置づけ、ロシアの利益を守る必要性を繰り返し強調することで、苦しい戦況の中でも国民の士気を維持しようとしたのです。
参戦継続がもたらした結末
こうした要因によって臨時政府は戦争継続を選びましたが、結果としてこの決断は政権の命取りとなりました。1917年6月に仕掛けられたケレンスキー攻勢は失敗に終わり、戦争疲労が限界に達していた市民や兵士の不満は一気に高まります。同年11月(ユリウス暦10月)、レーニン率いるボリシェヴィキは「平和・土地・パン」を掲げて十月革命を成功させ、権力を掌握しました。そして1918年3月、新政权はブレスト=リトフスク条約を締結し、ロシアはようやく第一次世界大戦から離脱したのです。