1933年、アドルフ・ヒトラーはドイツの軍縮会議からの撤退、および国際連盟からの脱退を宣言しました。この決断には、ヴェルサイユ条約による厳しい軍備制限と、各国が軍縮運動に真剣に取り組まなかったことへの強い反発が背景にありました。
ヴェルサイユ条約がもたらした「不平等」
第一次世界大戦後に締結されたヴェルサイユ条約は、敗戦国となったドイツに対し、陸軍の兵力制限、海軍の規模縮小、空軍の保有禁止など、極めて厳しい軍備制限を課しました。ドイツ国内では、この一方的な扱いは国家の尊厳を損なうものとして、国民の間に深い不満が蓄積されていました。
ジュネーブ軍縮会議の行き詰まり
1932年からジュネーブで開催された世界軍縮会議において、ドイツは「対等な軍備権」を主張しました。しかし、フランスをはじめとする列強各国はこれを受け入れず、軍縮交渉は実質的な進展を見せないまま停滞しました。ヒトラー政権にとって、この停滞は「他国が軍縮に真剣であるなら、なぜ自国の武装解除だけが続くのか」という批判材料となりました。
1933年10月、国会演説での衝撃的な宣言
こうした状況を受けて、ヒトラーは1933年10月、ドイツ国会(ライヒスターク)に関連する演説の場で、軍縮会議からの撤退と国際連盟からの同時脱退を激調をもって宣言しました。これは、ヴェルサイユ体制への正面からの挑戦であり、国内外に大きな衝撃を与えました。
撤退のその後と歴史的意義
国際社会からの承認を得られなかったドイツは、以降、再軍備の道を加速させていきます。翌年には徴兵制の導入、ラインラントの再軍事化など、ヴェルサイユ条約の枠組みを次々と打破する措置が取られました。この軍縮会議からの撤退は、第二次世界大戦につながる欧州秩序崩壊の重要な転換点の一つとされています。