南北戦争の幕開けとなったサムター要塞攻撃
1861年4月12日未明、サウスカロライナ州チャールストン港に浮かぶサムター要塞へ、最初の一発の砲弾が撃ち込まれました。この攻撃こそ、アメリカを二分した内戦――南北戦争の発端となった出来事です。
なぜサムター要塞が狙われたのか
サムター要塞は、南部諸州が相次いで合衆国から脱退していく中でも、連邦政府(北軍)が南部に保持し続けていた数少ない軍事拠点でした。合衆国で最初に脱退を宣言したのがサウスカロライナ州であり、その玄関口であるチャールストン港に敵対する要塞が残されていることは、南軍にとって重大な懸念材料でした。
また、要塞は単なる軍事拠点ではなく、連邦政府の権威そのものを示す象徴でもありました。就任したばかりのリンカーン大統領が要塞への補給船派遣を決断すると、南軍側は「自らの領域内に敵拠点を残せない」として要塞の明け渡しを要求。この要求が拒否されたことで、攻撃へと踏み切ったのです。
34時間に及ぶ激しい砲撃戦
4月12日午前4時30分、南軍のP・G・T・ボーリガード将軍の指揮のもと、砲撃が開始されました。要塞を守っていたのは、ロバート・アンダーソン少佐率いるわずか80名余りの北軍守備隊でした。興味深いことに、ボーリガードはウェストポイント士官学校時代、アンダーソンの教え子だったと伝えられています。
砲撃はおよそ34時間にわたって続き、弾薬も食料も尽きた守備隊は翌13日についに降伏しました。皮肉なことに、この激しい砲撃戦の最中に戦死した者は一人もいませんでしたが、降伏式典での祝砲の誤爆事故により犠牲者が発生し、ここに南北戦争最初の死者が生まれることとなりました。
歴史を変えた一発の砲声
サムター要塞の陥落は、南北戦争における最大の転換点の一つとなりました。この攻撃を受け、リンカーン大統領は7万5千人の義勇兵召集を宣言。これに反発したバージニア州やノースカロライナ州などがさらに合衆国から離脱し、戦争は瞬く間に全国規模へと拡大していきました。
こうして始まった内戦は4年間に及び、60万人を超える命を奪う、アメリカ史上最も悲惨な戦争となりました。サムター要塞に響いた一発の砲声が、ひとつの国家の運命を大きく変えることになったのです。