はじめに:この質問の前提について
「パリ講和条約が原住民にとって転機となったのはなぜか」という疑問には、まず押さえておきたい重要なポイントがあります。それは、「先住民(ネイティブ・ピープル)との間で締結されたパリ講和条約」というものは、厳密には存在しないという事実です。
「パリ条約」と呼ばれる条約は複数ある
歴史上、「パリ条約」「パリ講和条約」という名称で結ばれた国際条約は数多く存在しますが、そのいずれも先住民族が直接の締結当事者となったものではありません。代表的なものを挙げると、次の通りです。
- 1763年のパリ条約 — フレンチ・インディアン戦争(七年戦争)の終結条約で、フランスがカナダなど北米の領土をイギリスへ割譲しました。
- 1783年のパリ条約 — アメリカ独立戦争の終結条約で、イギリスがアメリカ合衆国の独立を承認しました。
- 1898年のパリ条約 — 米西戦争の終結条約で、フィリピンやグアム、プエルトリコがスペインから米国へ移りました。
当事者ではなくとも、運命を大きく左右した
ただし、先住民が条約の当事者でなかったからといって、無関係だったわけではありません。むしろ逆で、1763年と1783年のパリ条約は、北米先住民族の運命を決定づける転機となったのです。
両条約において、ヨーロッパ列強や新興のアメリカ合衆国は、先住民族の同意を得ることなく、彼らの故郷である広大な土地を外交交渉の駒として処分しました。先住民族は交渉の場に招かれることすらなく、自らの領土が一方的に「譲渡」されるという現実に直面することになります。
まとめ
「先住民のためのパリ講和条約」は存在しませんが、1763年および1783年のパリ条約は、先住民族の声が反映されないまま彼らの土地と生活基盤を根本から変えてしまったため、結果として先住民族史上の重大な転機となったと言えます。この点を理解することが、北米植民地史と先住民族問題を学ぶうえで非常に重要です。