ヨーロッパの歴史

なぜポルトガル人は米国に定住したのか?移民の歴史と背景を徹底解説

実は、ポルトガル人がアメリカ合衆国に大勢で定住してきたという歴史的記録は豊富に残っています。18世紀後半から20世紀にかけて、100万人以上のポルトガル人移民が新大陸へ渡り、今日では140万人以上のアメリカ人がポルトガル系の血筋を有しているとされています。ここでは、その移住のきっかけと定住の過程を詳しく見ていきましょう。

捕鯨業から始まった縁

ポルトガル人とアメリカの関わりは、18世紀末の捕鯨産業にさかのぼります。ニューイングランドの捕鯨船は、大西洋上の補給港としてアゾレス諸島を頻繁に利用しており、そこで優れた航海技術を持つポルトガル人乗組員を雇うようになりました。マサチューセッツ州ニューベッドフォードやナンタケットには、アゾレス出身の捕鯨船員たちが定住し、アメリカで最初のポルトガル人コミュニティが形成されました。

19世紀後半の本格的な移民の波

1820年以降、ポルトガルからの移民が本格化しました。特に1870年代から1920年代にかけてが最盛期で、経済的困窮や政治的不安定を背景に、多くの人々がより良い生活を求めて海を渡りました。

ハワイのサトウキビ農園へ

1878年から1913年にかけて、ハワイのサトウキビ農園は労働力不足を解消するため、アゾレス諸島やマデイラ諸島から約2万人のポルトガル人労働者を募集しました。彼らの多くは契約期間の終了後に農園を離れ、商売や牧畜など独自の道を歩みました。ちなみに、ウクレレの原型となった小型弦楽器「ブラギーニャ」をハワイに持ち込んだのは、この時期のマデイラ出身移民たちだったと言われています。

カリフォルニアでの成功

西海岸では、漁業と酪農業がポルトガル系移民の主要な職となりました。サンフランシスコ湾岸地域、特にサンリーアンドロやサンノゼ周辺には大きなコミュニティが育ちました。彼らは勤勉さと強い家族の絆によって、カリフォルニアの乳製品業界で目覚ましい成功を収めました。

東海岸に残るポルトガル人街

マサチューセッツ州のニューベッドフォードとフォールリバー、ロードアイランド州のブリストルやポータケットなどには、今日でも活気あるポルトガル系コミュニティが存在します。これらの地域では、ポルトガル語の看板、伝統的な料理店、毎年開催される聖母祭などの宗教行事を通じて、故郷の文化が今も大切に受け継がれています。

現代への遺産

現在、アメリカ合衆国のポルトガル系住民は140万人以上にのぼり、カリフォルニア州、マサチューセッツ州、ロードアイランド州、ハワイ州に集中しています。彼らは漁業や酪農業にとどまらず、政治、芸術、ビジネスなど幅広い分野でアメリカ社会に貢献してきました。

まとめると、ポルトガル人の米国定住は確かな歴史的事実であり、その動機は経済的機会の追求、捕鯨産業とのつながり、そして故郷での厳しい状況からの脱出でした。彼らの子孫たちは今日もなお、アメリカの多文化社会を形作る重要な存在として生き続けています。