ヨーロッパの歴史

バルト海のシュチェチンからアドリア海のトリエステまで、大陸に「鉄のカーテン」が下りたと語ったのは誰?

「バルト海のシュテッティンからアドリア海のトリエステまで、一つの鉄のカーテンが大陸を横切って下ろされた」——この有名な一節を語ったのは、イギリスの元首相ウィンストン・チャーチルです。

「鉄のカーテン」演説とは

この言葉は、1946年3月5日、アメリカ合衆国ミズーリ州ファルトンのウェストミンスター大学での演説「平和の筋肉(シネウズ・オブ・ピース)」の中で述べられたものです。当時野党保守党の党首だったチャーチルは、ソ連が東ヨーロッパ諸国に影響力を及ぼし、欧州大陸が事実上二分されている状況を警告しました。

引用の全文

チャーチルは次のように述べています。

「バルト海のシュテッティンからアドリア海のトリエステまで、一つの鉄のカーテンが大陸を横切って下ろされた。そのカーテンの向こう側には、中欧・東欧の古い国家の首都がすべて並んでいる。」

歴史的な意義

シュテッティン(現在はポーランドのシュチェチン)からトリエステ(現イタリア領)に至る線は、冷戦時代における東西陣営の境界線を象徴するものとして広く知られるようになりました。この演説は、東西対立の時代=冷戦の幕開けを告げる宣言とされ、20世紀の歴史において最も重要な演説の一つに数えられています。