第一次世界大戦から第二次世界大戦にかけて、ヨーロッパの地図が劇的に塗り替えられた背景には、いくつかの重要な要因があります。本記事では、その主な原因を順を追って詳しく解説します。
ヴェルサイユ条約による領土再編
第一次世界大戦後、ドイツに課されたヴェルサイユ条約は、ヨーロッパの国境線を大きく変えました。ドイツはアルザス=ロレーヌをフランスに、エウペン=マルメディをベルギーに、北シュレースヴィヒをデンマークに、そして西プロイセン・ポーゼン・上シュレージエをポーランドに割譲することを余儀なくされました。さらに、ダンツィヒ(現在のグダニスク)は国際連盟管理下の自由都市とされました。これらの領土喪失はドイツの国境に深刻な影響を与え、国内におけるナショナリズム高揚の一因となりました。
ファシズムの台頭と拡張主義政策
戦間期には、ベニート・ムッソリーニ率いるイタリアやアドルフ・ヒトラー率いるドイツなど、複数の欧州諸国でファシズム政権が誕生しました。両指導者とも攻撃的な拡張主義政策を推し進め、ヨーロッパの地図に大きな変化をもたらしました。ムッソリーニのイタリアは1935年にエチオピアへ侵攻し、1939年にはアルバニアを併合しました。一方、ヒトラーのドイツは「生存圏(レーベンスラウム)」の獲得を目指し、一連の領土併合と軍事征服へと踏み出していきました。
ドイツの領土拡張
ドイツの領土拡張は、1936年のラインラント再占領から始まりました。これはヴェルサイユ条約への明確な違反でした。1938年には「アンシュルス(オーストリア併合)」によってオーストリアを併合し、さらにミュンヘン会談の結果を受けてチェコスロバキアのズデーテン地方を編入しました。そして1939年3月にはチェコスロバキアの残りの地域を制圧し、ベーメン・メーレン保護領を設立したのです。
ポーランド侵攻と第二次世界大戦の勃発
1939年9月1日、ドイツによるポーランド侵攻が第二次世界大戦の幕開けとなりました。その後のドイツによる征服と占領は、ヨーロッパの地図にさらなる大きな変化をもたらしました。ポーランドはドイツとソ連によって分割され、ソ連は主にウクライナ人やベラルーシ人が居住する東部地域を併合しました。
ソ連の領土拡張
この時期、ソビエト連邦も積極的に領土拡張を進めていました。東ポーランドの併合に加えて、1940年にはバルト三国であるエストニア、ラトビア、リトアニアに侵攻してこれらを併合しました。同年には、ルーマニアからベッサラビアと北ブコヴィナも奪取しています。
第二次世界大戦後の変化
第二次世界大戦でドイツとその同盟国が敗北すると、ヨーロッパの地図はさらに大きく書き換えられました。ドイツは東プロイセン、シレジア、ポメラニアなどの追加の領土を失い、これらはポーランドに移譲されました。連合国はまた、チェコスロバキア、ハンガリー、ルーマニア、ユーゴスラビアなどの新たな国境線を設定しました。こうして「鉄のカーテン」により、ヨーロッパはソ連の影響下にある東側諸国と、アメリカと同盟関係を結ぶ西側諸国とに分断されることになったのです。
まとめ
第一次世界大戦から第二次世界大戦にかけてヨーロッパの地図が大きく変わったのは、ヴェルサイユ条約による領土再編、ファシズムの台頭と拡張主義政策、ドイツの領土拡張、ソ連の膨張、そして第二次世界大戦後の処理といった複数の要因が組み合わさった結果です。これらの変化はヨーロッパの政治的・地理的な景観を作り変え、その後の冷戦時代の基盤を築くこととなりました。