ニュルンベルク裁判とは
ニュルンベルク裁判は、第二次世界大戦の終結後、連合国によってドイツ・ニュルンベルクで開かれた国際軍事法廷です。1945年11月から1946年10月にかけて行われ、ナチス・ドイツの主要指導者たちが戦争犯罪への共謀、平和に対する罪、人道に対する罪などで厳しく裁かれました。
ここでは、この歴史的な裁判で有罪判決を受けた主要人物と、その結末を紹介します。
主要人物とその結末
ヘルマン・ゲーリング(Hermann Göring)
空軍総司令官を務め、被告の中で最高位にあったナチス幹部です。戦争犯罪への共謀、平和に対する罪、人道に対する罪で有罪となり、絞首刑を宣告されましたが、刑の執行前に服毒自殺しました。
ルドルフ・ヘス(Rudolf Hess)
ヒトラーの副総統としてナチス党のナンバーツーの地位にありました。戦争犯罪および平和に対する罪への共謀で有罪となり、終身刑を宣告されました。釈放されることのないまま、1987年にベルリンのシュパンダウ監獄で生涯を閉じました。
ヨアヒム・フォン・リッベントロップ(Joachim von Ribbentrop)
ナチス・ドイツの外務大臣です。戦争犯罪および平和に対する罪への共謀で有罪となり、1946年10月16日に絞首刑で処刑されました。
ヴィルヘルム・カイテル(Wilhelm Keitel)
ドイツ国防軍最高司令部(OKW)の総長として軍の最高位にいました。戦争犯罪および平和に対する罪への共謀で有罪となり、1946年10月16日に絞首刑で処刑されました。
エルンスト・カルテンブルンナー(Ernst Kaltenbrunner)
親衛隊(SS)高級将校であり、国家保安本部(RSHA)の長官でした。ホロコーストの実行組織を統括した責任を問われ、戦争犯罪および人道に対する罪への共謀で有罪となり、1946年10月16日に絞首刑で処刑されました。
アルフレート・ローゼンベルク(Alfred Rosenberg)
ナチス党の首席イデオローグとして、党の人種理論に大きな影響を与えました。戦争犯罪および人道に対する罪への共謀で有罪となり、1946年10月16日に絞首刑で処刑されました。
ハンス・フランク(Hans Frank)
ドイツ占領下のポーランドにおける総督を務め、占領政策の実行者でした。戦争犯罪および人道に対する罪への共謀で有罪となり、1946年10月16日に絞首刑で処刑されました。
ヴィルヘルム・フリック(Wilhelm Frick)
ドイツ内務大臣として、ナチス政権下の国内支配を担いました。戦争犯罪および人道に対する罪への共謀で有罪となり、1946年10月16日に絞首刑で処刑されました。
ユリウス・シュトライヒャー(Julius Streicher)
激しい反ユダヤ主義を掲げた新聞『デア・シュトゥルマー』の発行者でした。扇動による殺人および人道に対する罪で有罪となり、1946年10月16日に絞首刑で処刑されました。
まとめ
これらの絞首刑はすべて1946年10月16日、ニュルンベルク刑務所で執行されました。ニュルンベルク裁判は、国家の指導者が個人として法的責任を問われた史上初の大規模な試みであり、後の国際刑事裁判の基礎を築いた歴史的意義を持っています。