ヨーロッパの歴史

パリ講和会議でイギリスが求めたのは旧ドイツ植民地の統治ではなく、アフリカの領土だった

第一次世界大戦後の1919年、戦後処理を話し合うために開かれたパリ講和会議。ここでイギリスは、敗戦国ドイツから奪った旧植民地全体の直接統治権を求めたわけではありませんでした。イギリスが本当に狙っていたのは、アフリカにおける領土の拡大だったのです。

イギリスの外交戦略の核心

パリ講和会議の場で、イギリスは旧ドイツ植民地の包括的な支配を要求するのではなく、自国にとって戦略的価値の高いアフリカ地域の獲得に焦点を絞りました。これは、イギリスが長年掲げてきた「カイロ〜ケープタウン縦断政策」を完成させるためでした。ドイツ領東アフリカ(現在のタンザニア)などを手に入れることで、アフリカ大陸を南北に貫く勢力圏を実現しようとしたのです。

委任統治という形式

また、イギリスは単なる植民地主義的な併合ではなく、国際連盟の下での委任統治という新しい形式を活用しました。これにより、表向きは「住民の福祉のための統治」でありながら、実質的に自国の勢力範囲として旧ドイツ植民地を管理することが可能になりました。

まとめ

このように、パリ講和会議におけるイギリスの要求は、旧ドイツ植民地そのものへの全面的な統治ではなく、
・アフリカにおける領土拡大
・カイロ〜ケープ縦断ルートの確保
・委任統治を通じた実質的支配
という、自国の帝国戦略に沿った選択的な獲得にあったのです。