フランス絶対王政の頂点に立ったルイ14世(在位1643年~1715年)は、「朕は国家なり」という言葉でも知られる、強烈な権力志向を持つ君主でした。その治世は華やかで栄光に満ちている一方、彼が断固として許さなかった事柄も数多くあります。本記事では、ルイ14世が嫌ったとされる主なものをわかりやすく解説します。
1. 宗教的寛容
敬虔なカトリック信徒であったルイ14世は、フランスはカトリック国家であるべきだと固く信じていました。そのため、プロテスタント(ユグノー)に信仰の自由を認めていたナントの勅令を1685年に廃止しました(フォンテーヌブローの勅令)。これによりユグノーへの弾圧が強まり、多くの信者が職業とともに国外へ亡命するという事態を招きました。
2. 貴族の特権と独立性
国王こそが唯一絶対の権力を握るべきだと考えたルイ14世にとって、貴族が王に従属しないことは到底許容できませんでした。彼は貴族の政治的実権を削ぎ、ヴェルサイユ宮殿に集めて暮らさせることで、彼らを王権へ依存させました。かつて反乱(フロンドの乱)の温床となった大貴族たちは、こうして王の監視下に置かれることになったのです。
3. 政策への批判
ルイ14世は異論や反対意見を一切受け入れませんでした。自らの政策を批判する者には厳しい処罰を下し、検閲制度を整備して言論の自由を抑え込みました。王の意向に反する声は、公の場から徹底的に排除されたのです。
補足:贅沢と浪費がもたらした影響
興味深いことに、ルイ14世自身は豪華絢爛な生活を送りました。壮麗なヴェルサイユ宮殿の建設や宮廷行事への莫大な出費は、フランスの財政を大きく圧迫します。この浪費の積み重ねが国民の不満を蓄積させ、後のフランス革命につながる一因となったとされています。つまり「贅沢」そのものは彼の好みでありながら、それに対する批判や財政の悪化こそが、王権を揺るがす要因となったのです。
まとめると、ルイ14世が嫌ったのは「王の権威を脅かすすべてのもの」――宗教的多様性、貴族の自立性、そして批判の声――だったと言えるでしょう。