ヨーロッパの歴史

第一次世界大戦でドイツとオスマン帝国(トルコ)はなぜ同じ陣営に?「同盟」の実態を解説

第一次世界大戦において、ドイツとオスマン帝国(現在のトルコ)が同じ陣営、いわゆる「中央同盟国」側で戦ったことはよく知られています。しかし、両国の関係を「対等で強固な同盟」と捉えるのは必ずしも正確ではありません。ここでは、両国が同じ側に立った経緯と、その関係の実態について解説します。

そもそも「トルコ」ではなく「オスマン帝国」

まず押さえておきたいのは、第一次世界大戦当時、現在のトルコ共和国はまだ存在していなかったという点です。1914年の時点でドイツと連携したのは、広大な領土を抱える多民族国家「オスマン帝国」でした。したがって、「ドイツはトルコと同盟を結んだ」という表現は厳密には正しくなく、正しくは「ドイツはオスマン帝国と同じ陣営に入った」と言うべきでしょう。

オスマン帝国がドイツ側についた理由

1. ロシアへの警戒心

オスマン帝国にとって最大の脅威は、バルカン半島や黒海方面で勢力を拡大するロシア帝国でした。パン・スラヴ主義を掲げるロシアは、オスマン帝国内のスラヴ系民族の「保護者」を自任しており、両国の対立は深まる一方でした。「ロシアと敵対する大国」という点で、ドイツはオスマン帝国にとって自然なパートナーとなりました。

2. イギリス・フランスとの関係悪化

それまでオスマン帝国は伝統的にイギリスと接近してきましたが、20世紀初頭には関係が冷え込んでいました。特に、イギリス向けに発注していた最新鋭の戦艦2隻が開戦直前に接収された出来事は、オスマン帝国の世論に大きな衝撃を与えました。一方、ドイツはエンヴェル・パシャら青年トルコ党の指導者たちと良好な関係を築いていました。

3. ドイツからの経済的・軍事的支援

ドイツは19世紀末からベルリン・バグダッド鉄道の建設などを通じてオスマン帝国への投資を積極的に進め、リマン・フォン・ザンダース将軍率いる軍事顧問団がオスマン帝国軍の近代化を支援するなど、両国の結びつきは着実に強まっていました。

「同盟条約」はあったが、その中身は希薄だった

歴史的に見ると、1914年8月2日、開戦直後に独・オスマン間で秘密裏に同盟条約が調印されています。ただしこれはきわめて形式的なもので、オスマン帝国はすぐには参戦せず、同年11月になってようやく連合国側に宣戦布告しました。

つまり、両国の関係は「共通の敵を持つ者同士が、それぞれの利益のために手を組んだ」という、きわめて現実的な性格のものでした。オスマン帝国は列強による自国領土への野心に対抗するための後ろ盾を求め、ドイツは数少ない味方と中東への戦略的足場を必要としていたのです。

まとめ

第一次世界大戦でドイツとオスマン帝国が同じ側で戦ったのは、近代的な意味での正式な同盟というより、ロシア・イギリス・フランスという共通の相手を前にした「利益の一致」によるものでした。現代のトルコ国家とは別の存在であるオスマン帝国との関係は、対等な同盟というより、互いの事情が重なり合った結果生まれた戦時の協力関係だったと言えるでしょう。