結論から述べると、ナポレオン・ボナパルトがロシアを征服した回数はゼロです。彼は1812年に大規模なロシア遠征を試みましたが、この侵攻は失敗に終わり、最終的には撤退を余儀なくされました。
史上最大級の軍事作戦
1812年6月、ナポレオンは約60万人とも言われる「大陸軍(グランダルメ)」を率いてロシアへ侵入しました。これは当時のヨーロッパ史上でも最大規模の軍事作戦の一つであり、ナポレオンにとってロシア制圧は欧州覇権確立のための重要な目標でした。
ボロジノの戦いとモスクワ占領
フランス軍は9月のボロジノの戦いでロシア軍に甚大な損害を与え、一時的にモスクワへ入城することに成功します。しかし、ロシア側は焦土作戦を採り、市の大部分は火災で焼失。食料や越冬用の物資もほとんど残されていませんでした。
壊滅的な大撤退
アレクサンドル1世が講和に応じなかったため、ナポレオンは同年10月に撤退を決断します。しかし、厳しい寒波、飢餓、病気、そしてコサック騎兵による執拗な追撃により、フランス軍は壊滅的な打撃を受けました。生きて故国へ帰還できた兵士は、出発時の1割にも満たなかったと伝えられています。
遠征の失敗がもたらしたもの
この歴史的な敗北はナポレオン没落の転換点となり、1814年には連合軍がパリに入城し、彼は退位へと追い込まれました。「ロシアの冬がナポレオンを破った」と語られることも多いですが、実際には焦土作戦、補給線の限界、兵力の消耗など、複数の要因が重なって敗北につながったと考えられています。