1919年に調印されたベルサイユ条約は、第一次世界大戦の敗戦国に対して厳しい領土処分を課し、世界の国境線を大きく塗り替えました。ここでは、条約によって生じた主な国境変更を地域別に見ていきます。
ヨーロッパにおける国境の変化
最大の影響を受けたのは敗戦国ドイツです。周辺諸国への領土割譲により、ドイツの国土は大幅に縮小しました。
- アルザス=ロレーヌのフランスへの割譲
1871年以来ドイツ領であったこの地域がフランスに返還されました。長年係争の的となっていた地域だけに、その喪失はドイツ国民の誇りと威信にとって大きな打撃となりました。 - エウペン=マルメディのベルギーへの割譲
現在のベルギー東部にあたる比較的小さな地域ですが、ドイツの国境線はここでも後退することになりました。 - 北シュレースヴィヒのデンマークへの割譲
住民投票を経て、現在のデンマーク南部に位置するこの地域はデンマークへ復帰しました。 - 西プロイセン・ポーゼン・上シュレージエンの一部のポーランドへの割譲
現在のポーランド西部に相当するこれらの地域が新興国家ポーランドに移譲され、「ポーランド回廊」と呼ばれる領土が形成されました。 - ダンツィヒ(現グダニスク)の自由都市化
バルト海有数の港湾都市であったダンツィヒは、国際連盟管理下の「自由都市ダンツィヒ」となり、ドイツ本土から切り離されました。主要貿易港を失ったことは、ドイツ経済にとっても深刻な痛手でした。
アフリカにおける変化
ドイツはアフリカに保有していたすべての植民地を剥奪されました。具体的には以下の地域が含まれます。
- トーゴ
- カメルーン
- ドイツ領南西アフリカ(現在のナミビア)
- ドイツ領東アフリカ(現在のタンザニア、ルワンダ、ブルンジ)
これらの植民地は連合国側の委任統治領として再編され、ドイツの海外勢力圏は完全に消滅しました。
中東における変化
同盟国側であったオスマン帝国もまた、広大なアラブ地域の支配権を失いました。これらの領土はイギリスとフランスの間で分割され、委任統治の形で管理されることになります。その後、この枠組みからイラク、シリア、レバノン、ヨルダンといった近代国家が誕生しました。今日の中東の国境線の原型は、この時期に形成されたといえます。
国際連盟の設立
ベルサイユ条約のもう一つの重要な成果が、国際連盟の創設です。将来の戦争を防止し、恒久平和を実現するために設立された史上初の世界的な国際機関であり、本部はスイスのジュネーブに置かれました。ただし、アメリカ合衆国が不参加であったことなどから、連盟の抑止力には限界があり、後に第二次世界大戦を防ぐことはできませんでした。