ヨーロッパの歴史

ルイ17世は投獄された?少年王の最期と父・ルイ16世との違いを解説

ルイ17世とはどんな人物?

ルイ17世(本名:ルイ=シャルル、1785年〜1795年)は、フランス国王ルイ16世と王妃マリー・アントワネットの次男です。1793年に父が処刑されると、亡命貴族や王党派によって「フランス王ルイ17世」と擁立されましたが、実際に即位することは一度もありませんでした。

本人は「罪人として投獄」されたわけではない

厳密に言えば、ルイ17世自身が犯罪者として裁判にかけられ、正式に投獄された事実はありません。あくまで廃位された王家の継承者として、家族とともに政治的な抑留対象となった少年でした。
ただし、自由な身分だったわけでは決してありません。フランス革命の激化により、彼はパリのテンプル塔に幽閉され、母親とも引き離されて過ごしました。そして1795年6月8日、わずか10歳でこの世を去っています。死因は結核(瘰癧)とされるのが通説です。

「投獄され処刑された」のは父・ルイ16世

「投獄」「処刑」という言葉とセットで思い浮かべやすいのは、むしろ父であるルイ16世の方でしょう。フランス革命期、王室一家はヴェルサイユ宮殿からパリのテュイルリー宮殿へ移され、事実上の軟禁状態に置かれました。
その後、1792年9月の王政廃止を経て一家はテンプル塔へ移されます。ルイ16世は国民公会による裁判で死刑を宣告され、1793年1月21日にギロチンで処刑されました。母マリー・アントワネットも同年10月に同じ運命をたどっています。

まとめ

ルイ17世は罪人として投獄・処刑されたのではなく、革命の混乱の中で幽閉されたまま短い生涯を閉じた少年です。「投獄され処刑された君主」として語られるのは、多くの場合、父ルイ16世のことを指しています。両者の運命を混同しないよう、歴史的な流れを押さえておくと理解しやすくなります。