ヨーロッパの歴史

なぜイギリスは絶対主義国家にならなかったのか?立憲君主制の仕組みを解説

イギリスは絶対主義国家だったのか?

結論から述べると、イギリス(イングランド)は歴史上、一度も絶対主義国家になったことはありません。ヨーロッパ大陸の多くの国々が王権の集中を進める中、イギリスは異なる道を歩みました。

絶対主義とはどのような統治形態か

絶対主義(絶対王政)とは、一人の君主がすべての政治権力を握り、法律や議会に縛られることなく統治を行う体制を指します。17世紀のフランス王ルイ14世の「朕は国家なり」という言葉に象徴されるように、君主の意志がそのまま国の意志となるのが特徴です。

イギリスが採用したのは立憲君主制

一方、イギリスは立憲君主制という統治形態を採用しています。これは、君主がすべての権力を持つのではなく、その権力が憲法や法律によって制限される仕組みです。

この背景には、1215年のマグナ・カルタ(大憲章)による王権への制約、そして1688年の名誉革命と翌年の権利章典によって、議会の優位が確立された歴史があります。これらの出来事により、「王といえども法の上に立つことはできない」という原則が定着しました。

権力は君主・政府・国民の間で分かち合われる

現在のイギリスでは、権力は次のように分担されています。

君主: 国家の象徴として儀礼的な役割を担い、実質的な政治権力は持たない
政府(内閣): 議会の信任に基づき、実際の行政を担当する
国民: 選挙を通じて議会を選び、政治の正当性の源となる

このように、イギリスでは権力が一箇所に集中せず、君主・政府・国民の間で分かち合われているため、絶対主義とは無縁の政治体制が築かれてきたのです。