プロイセン王ヴィルヘルム1世が1871年、ドイツ皇帝(カイザー)として即位した際、オットー・フォン・ビスマルクを宰相(ライヒスカンツラー)に任命した理由は、彼がそれまでの経歴の中で示してきた卓越した政治的手腕と外交能力にありました。
プロイセン外相として実証された手腕
ビスマルクは1862年にプロイセン首相兼外相に就任して以来、「鉄血演説」で知られる強硬な現実政治(リアルポリティーク)を展開し、その能力を遺憾なく発揮してきました。軍制改革をめぐる議会との対立を乗り越え、王権を支える強力な指導者としての地位を確立していたのです。
ドイツ統一の立役者
ビスマルクはデンマーク戦争(1864年)、普墺戦争(1866年)、普仏戦争(1870〜71年)という三度の戦争を巧みに主導し、ドイツ統一という大業を成し遂げた最大の功労者でした。「鉄血宰相」の異名が示すとおり、彼の戦略的思考と交渉術は、複雑な国際関係の中でプロイセンを有利に導く決定打となりました。
「狡猾な交渉人」としての評判
ビスマルクは、各国の思惑を見極め、自国の利益を最大化する駆け引きの名手として知られていました。オーストリアやフランス、ロシアといった列強との外交において、常に数手先を読む戦略眼を発揮し、周囲からは「狡猾な交渉人」として恐れられ、同時に尊敬されていました。
理想的な人選だった理由
こうした豊富な経験と実績、そして揺るぎない政治的能力を考慮すれば、新しく誕生したドイツ帝国の宰相にビスマルクを選ぶことは、ごく自然な判断でした。皇帝ヴィルヘルム1世にとっても、帝国の基盤を固めるうえで、これほど信頼できる人物は他にいなかったといえます。実際、ビスマルクは1890年まで約20年間にわたり宰相の座に留まり、帝政ドイツの政治を主導することとなるのです。