ヨーロッパの歴史

アパルトヘイトを創設したのはどこの国?南アフリカの人種隔離政策の歴史

アパルトヘイトを創設したのはどこの国?

「アパルトヘイトを創設したヨーロッパの国はどこか」という疑問に対する答えは、該当するヨーロッパの国は存在しないというものです。アパルトヘイト(Apartheid)は、南アフリカにおいて1948年から1994年まで実施された人種隔離制度であり、これを創設し維持したのは、南アフリカの白人少数派政権でした。

アパルトヘイトの始まり

1948年、主にオランダ系移民の子孫であるアフリカーナーを支持基盤とする国民党が政権を握り、「分離」を意味するアフリカーンス語の言葉に由来するアパルトヘイトを正式な国家政策として導入しました。

この制度の下では、人口登録法や集団地域法など数多くの法律が制定され、人々は肌の色によって「白人」「黒人」「インド系」「カラー(混血)」などに分類されました。居住地域、教育、就職、結婚、公共施設の利用といった生活のあらゆる場面で、非白人は厳しい差別と制約を受けることになったのです。

なぜ「ヨーロッパの国」という誤解が生まれるのか

南アフリカはかつてイギリスの植民地であり、17世紀にはオランダ系入植者の足跡も残されています。こうした歴史的背景から、アパルトヘイトをヨーロッパの国が作ったという誤解が生じることがあります。

しかし、アパルトヘイト体制を立法化し、長年にわたり維持したのは南アフリカ政府自身です。ただし、植民地時代に築かれた人種間の不平等な社会構造が、アパルトヘイト成立の土壌となった点は見逃せません。

アパルトヘイトの終焉

国際社会からの強い批判と経済制裁、そしてネルソン・マンデラ氏をはじめとする反アパルトヘイト運動家たちの長い闘争により、1990年代に入るとアパルトヘイト関連法は次々と廃止されていきました。

1994年には全人種が参加する初の普通選挙が実施され、マンデラ氏が南アフリカ初の黒人大統領に就任。約46年 continu続いた人種隔離の時代は、ついに幕を下ろしました。

まとめると、アパルトヘイトはヨーロッパの国によって創設されたのではなく、南アフリカの白人少数派政権が自国内で確立した制度だったのです。