ヨーロッパの歴史

西ゴート族はローマ市を滅ぼしたのか?その歴史的真相を解説

「西ゴート族はどのようにしてローマ市を滅ぼしたのか」という問いには、実は大きな誤解が含まれています。結論から言えば、西ゴート族はローマ市を完全に破壊したわけではありません。ただし、彼らがローマを略奪した事実は確かに歴史に残っています。ここでは、ローマ陥落に関わる一連の歴史的経緯を整理して解説します。

西ゴート族によるローマ略奪(410年)

410年、アラリック1世率いる西ゴート族はローマ市を包囲し、約800年ぶりとなる外部勢力による都市略奪を実行しました。しかし、この略奪は短期間で終わり、彼らは市を徹底的に破壊することはありませんでした。キリスト教の聖堂などは比較的保護され、ローマ市自体はその後も存続し続けました。つまり、西ゴート族はローマに衝撃を与えたものの、「破壊者」ではなかったのです。

ヴァンダル族による略奪(455年)

ローマにより深刻な打撃を与えたのは、455年のヴァンダル族による略奪です。ガイセリック王率いるヴァンダル族は約2週間にわたってローマ市内を略奪し、金銀財宝や貴重な美術品の多くを持ち去りました。無差別な文化破壊を意味する「ヴァンダリズム」という言葉の由来ともされるこの出来事は、ローマに甚大な損害をもたらしました。

西ローマ帝国の滅亡(476年)

西ローマ帝国の終焉は、476年9月4日に訪れました。蛮族出身の将軍オドアケルが、幼い皇帝ロムルス・アウグストゥルスを退位させたのです。それまでの数十年間、ゲルマン民族の侵入は西帝国の経済と政治に深刻な混乱をもたらし続けてきましたが、最後の皇帝の退位は、しばしば西ローマ帝国滅亡を示す歴史的な画期として位置づけられています。

まとめ

西ゴート族は410年にローマを略奪したものの、市を滅ぼしたわけではありません。より壊滅的な被害をもたらしたのは455年のヴァンダル族の襲撃であり、西ローマ帝国そのものの終わりは、476年の皇帝退位によって象徴されるのです。