スターリングラードの戦い(1942年8月〜1943年2月)は、独ソ戦における最大の転換点となった激戦です。ここでは、この戦いに実際に関与した武装親衛隊(Waffen-SS)部隊について、歴史的な事実に基づいて解説します。
スターリングラードに関与した武装親衛隊部隊
第2SS装甲師団「ダス・ライヒ(Das Reich)」
1942年12月、マンシュタイン元帥率いるドン軍集団に配属され、包囲されたドイツ第6軍を救出するための「冬の嵐作戦(Wintergewitter)」に参加しました。コテリニコヴォ方面からスターリングラードへの突破を試みましたが、ソ連軍の抵抗により救援は失敗に終わりました。
第3SS装甲師団「トーテンコップ(Totenkopf)」
同じくドン軍集団の一員として救援作戦に従事しました。ミウス川防衛線の確保や、その後のハルコフ攻防戦など、南部戦線での戦闘に参加しています。
注意:よくある誤解について
インターネット上では、以下の部隊もスターリングラードに参加したとされることがありますが、これは誤りです。
- 第1SS装甲師団「ライプシュタンダルテ」 — 当時は西部戦線やフランスに配置されており、スターリングラードには参戦していません。
- 第9SS装甲師団「ホーエンシュタウフェン」 — 1943年に編成されたため、スターリングラードの戦いには間に合っていません。
- 第10SS装甲師団「フロインツベルク」 — 同様に1943年編成であり、参戦していません。
- 第11SS装甲擲弾兵師団「ノルトラント」 — 1943年編成のため、スターリングラードとは無関係です。
- 第16SS装甲擲弾兵師団「ライヒスフューラー・SS」 — 1944年に編成された部隊です。
- 第32SS義勇擲弾兵師団「1月30日」 — 1945年初頭に編成された最末期の部隊で、スターリングラードとは全く関係ありません。
まとめ
スターリングラード市街戦の主力は国防軍の第6軍であり、武装親衛隊部隊が市内で直接戦闘を行ったわけではありません。武装親衛隊の関与は、主に包囲網を突破するための救援作戦(冬の嵐作戦)において、「ダス・ライヒ」と「トーテンコップ」の2個師団が投入されたことに限られます。結果として救援は失敗し、1943年2月2日に第6軍は降伏、スターリングラードの戦いはドイツの敗北として幕を閉じました。