ナポレオン・ボナパルトは19世紀初頭、ヨーロッパの大半を支配下に置き、オーストリアやプロイセンといった強国までもを降伏させました。しかし、その圧倒的な軍事力をもってしても、最後まで屈服しなかった国が存在します。それがイギリス、ポルトガル、ロシアの3か国です。
1. イギリス:海の壁がナポレオンを阻んだ
イギリスはナポレオン戦争を通じて一度も大陸側の降伏条件を受け入れず、終始一貫してフランスと対峙し続けた唯一の大国です。
1805年のトラファルガーの海戦でネルソン提督率いるイギリス海軍がフランス・スペイン連合艦合艦隊を壊滅させたことで、制海権は完全にイギリスの手に渡りました。これによりナポレオンは英仏海峡を渡って本土上陸を果たせず、代わりに「大陸封鎖令(ベルリン勅令)」によって経済的にイギリスを追い詰めようとします。
しかし、この封鎖令はヨーロッパ諸国の経済にも打撃を与えて逆効果となり、ナポレオン体制崩壊の一因となりました。イギリスは豊かな資金力と海上補給線を武器に、大陸での反ナポレオン勢力への支援を続けたのです。
2. ポルトガル:王朝ごと海を渡り、抵抗を貫いた
1807年、ナポレオンはイベリア半島への侵攻を開始し、ポルトガルへ大陸封鎖令の遵守を迫りました。これを拒否したポルトガルに対し、フランス軍とスペイン軍が進軍します。
首都リスボンが陥落寸前に陥った際、ポルトガル王室はイギリス海軍の護衛のもと、宮廷ごと植民地ブラジルへ脱出しました。これはヨーロッパ史上でも前例のない出来事でしたが、この決断によってポルトガルは国家として存続し、降伏を回避することに成功したのです。
その後、ウェリントン率いるイギリス軍の支援を受けて半島戦争(ペニンスラ戦争)を戦い抜き、フランス占領軍を次第に追い詰めていきました。
3. ロシア:焦土作戦が帝国の運命を変えた
ロシア皇帝アレクサンドル1世は当初、ティルジット条約(1807年)でナポレオンと同盟関係を結びますが、大陸封鎖令による経済的損失が大きく、次第に条約を遵守しなくなりました。
これに激怒したナポレオンは1812年、約60万ともいわれる史上最大級の大軍団(グランダルメ)を率いてロシアに侵攻します。しかしロシア軍は正面からの決戦を避け、補給線を引き延ばす撤退戦術と焦土作戦を展開。モスクワは大火に包まれ、ナポレオンは勝利どころか冬将軍と飢えに苦しむことになります。
結果、フランス軍は壊滅的な損害を被って退却し、この「1812年の惨敗」がナポレオン帝国衰退の決定的な転換点となりました。
まとめ
ナポレオンに最後まで降伏しなかったのは、イギリス(制海権と経済力で対抗)、ポルトガル(王室のブラジル移転と半島戦争での抵抗)、ロシア(焦土作戦による消耗戦)の3か国です。彼らの粘り強い抵抗が、ナポレオンのヨーロッパ支配に亀裂を入れ、最終的な帝国崩壊へとつながっていきました。