アレクサンダー大王(アレクサンドロス3世)は、地中海を船で一周して制圧したわけではありません。むしろ彼は、地中海を取り囲む陸地を次々と征服するという手法で覇権を築き上げたのです。
東方遠征こそが大王の本筋
アレクサンダーの征服活動の中心は、あくまで東方への拡大でした。紀元前334年に小アジアへ渡って以降、彼はペルシア帝国という巨大な敵を倒すことに全精力を注ぎます。イッソス、ガウガメラといった決戦を経て、シリア、エジプト、メソポタミア、ペルシア本土を掌握し、最終的にはインダス川流域まで到達しました。
地中海を「渡る」必要がなかった理由
では、なぜ彼は地中海を航行して一周しなかったのでしょうか。答えはシンプルで、陸路による沿岸支配の方が効率的だったからです。
- 地中海の南岸・東岸は、ペルシア帝国の支配下にある重要な地域であり、そこを陸から押さえれば海を制圧したも同然でした。
- 当時のマケドニア軍は陸戦において無敵とも言える強さを誇り、海上作戦は必ずしも得意分野ではありませんでした。
- 艦隊の維持には莫大な費用と人員が必要であり、既存のペルシア艦隊に対抗するより、その母港となる都市を占領する方が合理的でした。
実際には海にも関心を持っていた
ただし、アレクサンダーが海を軽視していたわけではありません。ティロス包囲戦では堤防を築いて要塞都市を陥落させ、エジプトではアレクサンドリアを建設するなど、海洋との接点は数多くありました。晩年にはインダス川から海に出てペルシア湾へ向かう艦隊遠征を計画・実行しており、死の直前にはアラビア遠征も構想していました。
まとめ
アレクサンダー大王にとって地中海は、征服すべき目的地ではなく、東方遠征の途上で自然と囲み込まれていった海だったのです。彼の戦略は海を越えることではなく、海を支える陸地を手中に収めることにありました。この壮大な東方遠征こそが、彼を「大王」と呼ばしめる所以となっています。