ヨーロッパの歴史

ドイツはどのようにしてサセックス公約を破ったのか?第一次大戦の転換点を解説

サセックス公約はどのようにして破られたのか?

サセックス公約が破られたのは、1917年2月にドイツが無制限潜水艦作戦を再開したことがきっかけでした。

サセックス公約の背景

サセックス公約とは、1916年5月にドイツ帝国がアメリカ合衆国に対して示した約束です。その内容は、「警告なしに商船を沈めず、非戦闘員の命を救わずに船舶を攻撃しない」というものでした。

この公約は、ドイツのUボート(潜水艦)によるイギリス客船RMSサセックス号の撃沈事件を受けたものでした。この攻撃により、乗客と乗組員は救命ボートで数時間ものあいだ海上に取り残され、ようやく救助されたのです。

アメリカ世論への影響

サセックス号の撃沈はアメリカ国内に激しい怒りを巻き起こしました。当時のアメリカは、連合国側として第一次世界大戦に参戦する一歩手前まで迫っていたといわれています。

公約の崩壊と無制限潜水艦作戦の再開

ドイツはサセックス号事件について謝罪し、Uボート戦術の変更を約束しました。しかし、ドイツ軍がこの公約を守ることができない、あるいは守る意思がないことは、すぐに明らかになりました。

そして1917年2月、ドイツは無制限潜水艦作戦を再開。警告なしに商船を次々と撃沈し、数千人の民間人が犠牲となりました。

アメリカの宣戦布告へ

ドイツによるこの行動は、1917年4月6日にアメリカ合衆国がドイツに対して宣戦布告する主な理由の一つとなりました。サセックス公約の破棄は、第一次世界大戦の帰趨を左右する大きな転換点となったのです。