三国同盟と三国協商の構成国
19世紀末から20世紀初頭にかけてのヨーロッパは、二つの巨大な軍事ブロックに分かれて対立していました。この対立構造が、後の第一次世界大戦へとつながっていきます。
三国同盟(同盟国側)
三国同盟は、以下の3か国によって形成されました。
ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、イタリア王国
1882年に締結されたこの同盟は、当初はフランスやロシアへの牽制を目的としていました。ドイツの宰相ビスマルクによる外交戦略の一環として結成されたものです。
三国協商(連合国側)
一方、三国協商は、以下の3か国によって形成されました。
イギリス、フランス、ロシア
1904年の英仏協商、1907年の英露協商を経て、フランスとロシアの軍事同盟(1894年)と合わせて三国協商が成立しました。ドイツの台頭を警戒するイギリスが、フランス・ロシアとの関係強化を進めた結果です。
両陣営の対立と第一次世界大戦
この二つの陣営は、植民地争奪や軍拡競争を通じて緊張を深めていきました。1914年にサライェヴォ事件が発生すると、同盟関係が連鎖的に発動され、三国同盟側のドイツ・オーストリア=ハンガリー(イタリアは後に連合国側へ離反)と、三国協商側のイギリス・フランス・ロシアが衝突し、第一次世界大戦が勃発しました。