ヨーロッパの歴史

アレクサンダー大王が征服した、現代の国にあたる3つの地域とは?

マケドニアのアレクサンドロス3世、通称アレクサンダー大王は、古代ギリシャの王にして卓越した軍事指導者であり、当時の「知られた世界」の大部分をわずか10年余りで征服した伝説的な人物です。彼自身が現代国家を直接建国したわけではありませんが、その広大な帝国の版図は、現在の多くの国家にまたがっていました。ここでは、アレクサンダーが実際に征服した、あるいは深い関わりを持ったとされる、現代の国に対応する3つの地域を紹介します。

1. エジプト(現エジプト)

紀元前332年、アレクサンダーはアケメネス朝ペルシアの支配下にあったエジプトを、解放者として熱狂的に歓迎されながらほとんど無血で征服しました。彼はナイル川河口に後世七大文明の一つと称される都市アレクサンドリアを建設し、自らファラオとして即位しています。エジプトはその後、彼の急逝に伴い部将の一人プトレマイオス1世ソーテールの手中に収まり、クレオパトラで知られるプトレマイオス朝エジプトの基盤となりました。

2. インド北西部(現パキスタン・インド北部)

ペルシア帝国の征服によって、アレクサンダーの軍勢はインド亜大陸への扉を開きました。紀元前327年頃、彼はインダス川流域へ侵攻し、ヒュダスペス河畔の戦いで勇名を馳せたポロス王を破るなど、現在のパキスタンおよびインド北西部にあたる地域を支配下に置きました。しかし、疲弊した兵士たちがさらなる東進を拒否したため、富饒なガンジス川流域への征服はついに実現しませんでした。

3. 中国(夢に終わった未踏の地)

アレクサンダーの時代、中国は群雄割拠する戦国時代を迎えており、高度な文明と豊かな資源を誇る大国でした。しかし、その国土はアレクサンダーの帝国からはるか東方に隔たっており、彼が中国の存在を認識していた証拠は一切ありません。「もし大王がさらに東征を続けていたら」という仮説のもとで語られることのある地域ですが、両者が交わることは歴史上ついになかったのです。

まとめ

アレクサンダー大王は32歳という若さでこの世を去りましたが、その征服の足跡はエジプトからインド北西部まで及び、東西文明の交流への道を開きました。中国との邂逅こそ叶いませんでしたが、彼が築いたヘレニズム世界は、後世の歴史に計り知れない影響を与え続けたのです。