第二次世界大戦前にドイツで起きたユダヤ人に対する暴力の最も代表的な例が、1938年11月9日から10日にかけて行われた「水晶の夜(Kristallnacht)」、別名「ガラス割りの夜」です。ユダヤ人の商店やシナゴーグ(ユダヤ教会堂)の窓ガラスが大量に割られたことから、この名称で呼ばれています。
水晶の夜とは何か
水晶の夜は、ヒトラー率いるナチス政権下で宣伝大臣を務めたヨーゼフ・ゲッベルスによって計画・指示され、主として突撃隊(SA)と呼ばれる準軍事組織によって実行されました。ナチ党の各組織や政府機関もこれを支援し、暴力的な反ユダヤ主義キャンペーンは2日間にわたってドイツ国内で展開されました。
被害の規模
この事件では、少なくとも91人のユダヤ人が殺害され、約267のシナゴーグが焼却・破壊され、約7,500軒のユダヤ人商店が略奪・破壊されました。また、約3万人のユダヤ人男性が逮捕され、ダッハウやブーヘンヴァルトなどの強制収容所に送られました。
事件のきっかけ
直接の引き金となったのは、家族がポーランドへ強制移送されたことを知った青年ヘルシェル・グリュンツパンが、パリのドイツ大使館員エルンスト・フォム・ラートを射殺した事件でした。ナチス政権はこれを口実に、組織的な暴力行為を全国で一斉に展開したのです。
歴史における転換点
水晶の夜は、ナチスによるユダヤ人迫害における重大な転換点となりました。それまでの差別的な法律や経済的な排除にとどまらず、国家ぐるみの公然たる暴力へと移行したことを象徴する出来事です。事件後には、ユダヤ人共同体に対して10億ライヒスマルクという莫大な「賠償金」が課されるなど、迫害はさらに激化していきました。この出来事は、やがてホロコーストへと至る道程の重要な一歩とされています。