紀元前480年、テルモピュライの戦いでスパルタ王レオニダス率いるギリシャ連合軍が敗北すると、アテネは間もなくペルシア軍の脅威にさらされることになりました。ここでは、この戦いの後にアテネで何が起きたのかを詳しく見ていきます。
ペルシア軍の侵攻とアテネ占領
- テルモピュライでの勝利後、クセルクセス1世率いるペルシア大軍はギリシャ本土へ進軍しました。ペルシアの侵略に対するギリシャ側抵抗の中心的存在であったアテネは、主要な標的となりました。
- これに対しアテネ市民は都市の放棄を決断します。大多数の市民は近くのサラミス島へ避難し、一部はギリシャ各地へ逃れました。
- ペルシア軍はアテネ市内に侵入して占領すると、多くの建造物を略奪・焼き払いました。アクロポリスとその神殿群も被害を受け、当時建設途中だった旧パルテノンなどが炎に包まれました。
サラミスの海戦
- アテネの海軍司令官テミストクレスは、サラミス海峡という狭い海域でペルシア艦隊を迎え撃つ作戦を立案しました。
- サラミスの海戦において、アテネを中心とするギリシャ海軍はペルシア艦隊に決定的な勝利を収めます。この勝利は、戦局をギリシャ側に有利に導く重大な転換点となりました。
- サラミスでの敗北により、クセルクセスはギリシャからの撤退を余儀なくされました。ペルシア陸軍は小アジアへ退却し、残存艦隊はイオニア方面へ引き上げました。
アテネの復興
- ペルシア軍の撤退後、アテネは街の再建と復興に着手しました。
- テミストクレスの指導の下、まず市壁の再建が急ピッチで進められ、その後、アテネと港湾都市ピレウスを結ぶ「長い城壁」も築かれました。
- さらに、ペルシア軍によって破壊された神殿や建造物の再建計画が推進されました。この復興期の大規模な建設事業は、後のアテネが文化・建築の中心地として栄える重要な基盤となりました。
アテネの黄金時代
- ペルシアに対する勝利は、古代ギリシャが文化・思想・芸術の面で大きく花開いた「アテネの黄金時代」の幕開けとなりました。
- アテネはギリシャ世界における政治・文化・経済の大国として台頭し、将来のペルシアの再攻撃に備えるため、ギリシャ諸ポリスの同盟であるデロス同盟を結成しました。
- この時代、哲学・文学・演劇・美術・建築が目覚ましい発展を遂げ、ソクラテス、プラトン、ソフォクレス、ペイディアスといった偉人たちが、後世に残る知的・文化的遺産を数多く生み出しました。
まとめ
テルモピュライの戦いの後、アテネはペルシア軍の侵攻と占領に直面し、市民は都市を一時的に放棄せざるを得ず、多くの建造物が破壊されました。しかし、続くサラミスの海戦での勝利が戦局をギリシャ有利へと転換させ、アテネは復興と発展の時代へと歩み出し、やがて輝かしい黄金時代を迎えることになったのです。