1829年のドイツ(当時はまだ統一国家ではなく、多数の邦からなるドイツ連邦)は、経済・文化・政治のあらゆる面で大きな変革の兆しが見えた年でした。産業革命の波が押し寄せ、関税同盟への動きが加速する一方、保守体制による抑圧も続いていました。ここでは、この年のドイツで起こっていた主な出来事と潮流を10のテーマに分けて紹介します。
1. 関税同盟への道 ― 経済統合の第一歩
1829年前後は、分裂したドイツ諸邦の経済統合が大きく進んだ時期でした。1828年にはプロイセン主導の「北ドイツ関税同盟」と、バイエルン・ヴュルテンベルク両王国による「南ドイツ関税同盟」が相次いで成立します。さらに1829年にはプロイセンと南ドイツ諸邦の間で通商条約が締結され、貿易障壁の撤廃に向けた協力関係が築かれました。こうした流れは、1834年の「ドイツ関税同盟(ツォルフェライン)」成立へとつながっていくことになります。
2. ゲーテの晩年 ― 古典主義の巨星
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテは、1829年8月に80歳の誕生日を迎えました。この年には『ウィルヘルム・マイスターの遍歴時代』が刊行され、生涯のライフワークである『ファウスト 第二部』の完成に向けて執筆を続けていました。ゲーテはワイマール古典主義の中心人物であり、1832年に82歳で亡くなるまで、ドイツ文学界の頂点に君臨し続けたのです。
3. 急速な工業化
イギリスで始まった産業革命は、この頃ドイツにも確実に浸透しつつありました。ラインラントやザクセンを中心に工場が建設され、機械化が進み、繊維業や鉱業、金属加工などの製造業が成長していきます。鉄道建設もまもなく始まり(ドイツ初の鉄道は1835年にニュルンベルク〜フュルト間で開通)、社会構造の変化が本格化しようとしていました。
4. カールスバート決議による抑圧体制
1819年に制定された「カールスバート決議」は、1829年においてもなお有効でした。この決議により、報道検閲の強化、大学に対する監視、政治集会の制限などが実施され、自由主義・民主主義運動は厳しく抑え込まれていました。オーストリア宰相メッテルニヒ主導のこの保守体制は、当面の安定をもたらす一方、人々の不満を静かに蓄積させていたのです。
5. 宗教問題と信者の権利
同じ1829年、イギリスでは「カトリック解放法」が成立し、ヨーロッパ各地で宗教的平等を求める運動が活発化しました。ドイツ諸邦でも、カトリック住民が法的・社会的制約を受けていた地域を中心に、信教の自由と権利平等をめぐる議論が深まっていきます。この問題は、後の「ケルン教会騒動」(1837年)など、国家とカトリック教会の対立へと発展していくことになります。
6. 科学の進展 ― フンボルトのシベリア遠征
この時期のドイツ科学界は世界の先端を走っていました。博物学者アレクサンダー・フォン・フンボルトは1829年、ロシア政府の招きでシベリア大遠征を実施し、広大なユーラシア大陸の地磁気や自然環境に関する貴重なデータを収集しました。数学者ガウスと共同で推進された地球磁気の国際観測網の構想も、この頃形になりつつあります。フンボルトの学際的な研究は、後に大著『コスモス』(1845年〜)として結実することになります。
7. 高まる政治的不満
カールスバート決議による抑圧にもかかわらず、各邦では政治参加の拡大と自由主義的改革を求める声が着実に大きくなっていました。学生運動の伝統を受け継ぐ人々や市民層を中心に、「統一されたドイツ国民国家」への憧れが広がり、1848年の三月革命へと向かう流れが静かに形成されていったのです。
8. 芸術と文学 ― ロマン主義の花開き
芸術の分野ではロマン主義が全盛期を迎えていました。画家カスパー・ダーヴィト・フリードリヒは、霧と月光に包まれた風景画によってドイツ・ロマン主義絵画の頂点を極めています。文学では、ハインリヒ・ハイネが『歌の本』(1827年)や『旅行素描』で鋭い感性と風刺を披露し、新時代の詩人として注目を集めていました。
9. 人口増加と都市化
この時期のドイツは人口増加期にあり、農村から都市への人口移動が進みました。ベルリン、ミュンヘン、ハンブルクといった都市は規模を急速に拡大し、都市化が本格的に始まります。これは後の近代ドイツの経済・社会構造を形作る重要な基盤となりました。
10. 国際情勢と外交
1829年のヨーロッパは、露土戦争(1828〜29年)の終結と「アドリアノープル条約」の締結という大きな外交的事件に沸いていました。ドイツ連邦を主導するオーストリアとプロイセンにとっても、オスマン帝国やロシア帝国との関係は重大な関心事であり、列強間の力学はドイツ諸邦の政策にも少なからず影響を与えていました。
まとめ
1829年のドイツは、文化的・経済的・政治的に重要な節目となる出来事が重なった年でした。関税同盟への動きは経済統合への道を開き、産業革命は社会を変えつつあり、一方で抑圧的な体制への不満は1848年革命の種を静かに育てていました。ゲーテに代表される古典主義の輝きとロマン主義の躍動が共存するこの年は、19世紀ドイツの進路を方向づける転換点だったと言えるでしょう。