2011年3月12日、春めいた土曜日の午後5時前。ハンブルクの高級住宅街エッペンドルフの交差点で、38歳の男カエサルS.が運転するフィアット・プントが制御不能となった。てんかん発作に襲われたのである。車はエッペンドルファー・ランドシュトラーセ交差点の赤信号を時速100キロで突き抜け、他の車に衝突して横転。数回転した末、青信号を待つ歩道の人だかりに激突した。
この悲劇的な事故で4人が命を落とし、少なくとも3人が負傷した――加害者本人も含まれていた。エッペンドルフの住民にとって、それはまさに「黒い日」となった。
犠牲者のなかに俳優ディートマー・ミュースと社会学者ギュンター・アメント
横転した車の残骸、散乱する破片、無数の救急車――そして負傷者の心肺蘇生にあたる救急医たち。エッペンドルフ事故の凄惨な光景は、当時ハンブルク中に衝撃を与えた。犠牲者のなかに著名人がいたことも、その一因だった。
事故当時、俳優ディートマー・ミュースは妻ジビレとタンデム自転車を伴って交差点に立っていた。「タットオルト」や「ベラ・ブロック」などの役柄で広く知られ、長年ハンブルク演劇座のアンサンブルに名を連ねていた人物だ。事故を起こした運転手は、夫妻だけでなく、著名な社会学者ギュンター・アメント、そして俳優ドミニク・ラッケの義母にあたる芸術家アンゲラ・クラーの命をも奪った。俳優ペーター・シュトリーベックと妻ウラは衝突された車の中におり、軽傷を負った。
ミュース夫妻が遺した三人の息子たち――ワンヤ、ヨナ、ウッディ
ハンブルク市民の追悼の気持ちは大きく、翌日には事故現場に花が捧げられた。「最後の幕が下りた。どうして?」――ミュース夫妻宛ての黄色いメモにはそう書かれていた。夫妻の後には、両親の喪失と共に生きていかねばならない息子たち、ワンヤ、ヨナ、ウッディが残された。
事故から3週間後、オールスドルフ墓地での葬送式には数百人もの人々が別れを告げに訪れた。事故当時20歳だったウッディ・ミュースはNDRの取材に対し、17歳年上の兄ワンヤが多くのことを自ら引き受けたと振り返る一方、両親の友人たちが手続きや事務作業の面倒を見てくれたおかげで、「時間をかけて悲しむことができた。本当に幸運だった」と語っている。
運転中に何度も発作を起こしていた加害者
遺族が悲しみに暮れるなか、加害者に関する情報が次々と明らかになっていく。事故当時、カエサルS.は薬物の影響下にあり、大麻の有効成分THCの陽性反応が出ていたのだ。しかも、エッペンドルフの事故以前にも、発作に関連する重大事故をすでに3回起こしていたという。
3回目の事故を受けて2008年に免許を取り消されたカエサルS.は、これを不服として訴えを起こし、勝訴する。2009年、キール地方裁判所は「運転中のてんかん発作は予見できなかった」として、免許の返還を認めたのだ。ところが同年、勤務先は彼に社用車の運転を禁じ、保険会社も損害への責任を負わないと通告した。それでもカエサルS.は運転を続け、2010年に勤務先が文書で運転禁止を通達してようやくやめたのである。
てんかん患者はそもそも車を運転できるのか?
てんかん患者は車のハンドルを握ってよいのか――この問いは、憤慨するハンブルク市民だけでなく司法をも悩ませた。連邦道路研究所(BASt)が定める基準によれば、自発性の発作を少なくとも2回経験している場合は、私用で車を運転するために少なくとも1年間の無発作期間が必要となる。数年にわたり複数の薬を服用して発作を抑えている場合には、2年間の無発作期間が求められる。しかし何よりの事実は――カエサルS.は、裁判所の承認のもとで有効な運転免許を保持していたということだ。
公判を控え、裁判官たちは繊細な法的問題に向き合うことになった。検察は、衝突の瞬間に発作に襲われていたことを理由に、加害者に刑事責任能力がないとみなす立場だ。それでも残るのは、「病気とそれに伴うリスクを知りながら車を運転していた」という指摘である。「我々は、致命的な事故に至るまでの経緯に問責の焦点を移す」と上級検察官ヴィルヘルム・メーラーは「Welt」紙に説明した。法定刑は最長5年の懲役。ただし無罪放免の可能性も排除されていなかった。
遺族が重視したのは「誰に責任があるのか」の明確化
事故から約1年後の2012年3月26日、ハンブルク地方裁判所でカエサルS.に対する公判が開始された。容疑は過失致死4件、過失傷害、および故意による道路交通危険罪。大法廷で10日間の審理が予定され、専門家4人と証人28人が召喚され、多数の記者が公判開始を取材した。
ワンヤ、ヨナ、ウッディのミュース兄弟は共同原告として法廷に姿を見せた。ワンヤ・ミュースは2011年11月、ハンブルガー・アーベントブラット紙に対し、「死のドライバー」の責任を明確にする裁判こそが重要だと語った。求めているのは刑罰の重さではない。責任の認定こそが「悲嘆の中で前に進み、いつか物事に決着をつける地点にたどり着く」助けになると考えていたのだ。
「彼は決してハンドルを握るべきではなかった」
検察は、被告が急性のてんかん発作により車両の制御を失い、4人死亡・3人負傷という交通事故を引き起こしたとして起訴した。その前提にあるのは、被告自身が病気を自覚していたという認定である。発作による制御不能ゆえに、事故の瞬間において被告に刑事責任能力はないとみなされる一方で、「彼は決してハンドルを握るべきではなかった」と上級検察官ヴィルヘルム・メーラーは述べた。このため法廷にとって、薬物検査で大麻成分THCが検出されたことは問題視されなかった。
被告カエサルS.、てんかん患者であることを否認
遺族側は初公判で被告が態度を改めることを期待していた。「罪を認め、許しを請うこと」――共同原告代理人の弁護士ヴォルフ・レミヒはそう語っていた。しかし、その瞬間は来なかった。審理の過程で被告は発作を何度も経験したことは認めたものの、自分がてんかん患者であることについては頑強に否認し続けたのである。
だが、それは証拠に反していた。複数の医師が2005年以来、カエサルS.にてんかんの診断を下し、服薬処方を行っていた。審理では神経学者と法医学者が専門家証人として登壇し、やはりてんかんとの診断を下した。公判8日目、カエサルS.は初めて遺族へ向けて言葉を発した。「皆さんに許しを請います。ですが、もし私が皆さんの立場なら、自分自身を許すことはできないでしょう」。ほぼ毎日公判に足を運んだウッディ・ミュースにとって、この言葉は言い訳ではなく侮辱以外の何ものでもなかった、と同紙に語っている。
エッペンドルフ「死のドライバー」に実刑判決
論告求刑で検察は懲役3年9か月を求め、弁護側は無罪を主張した。そして2012年6月5日、カエサルS.に対し執行猶予なしの懲役3年6か月が宣告された。さらに免許取り消し期間は5年とされた。「残念ながら永遠ではありません。私の言葉で言えば、ですが」と裁判長のビルギット・ヴォイタスは語り、より重い刑を科す法的根拠がなかったことを明かした。判決理由の中で彼女は「条件付故意に近い重大な義務違反」に言及した。被告はてんかんの警告サインを無視し、医師から発作を隠していたというのである。判決についてウッディ・ミュースは安堵を口にし、「世間の騒動に終止符を打ち、再び二人のことを想えるようになる」ことを望んだ。
事故犠牲者を偲ぶ記念碑
犠牲者の死から3年後、エッペンドルフの事故現場で慰霊式が営まれた。遺族の見守るなか、裂け目が走るベンチの記念碑が除幕される。犠牲者の名前を刻んだ小さな銘板が取り付けられたそれは、日々の喧騒の中で立ち止まるための場所となった。
ウッディ・ミュースにとって、この記念碑は困難な時期を支える「パワースポット」のような存在へと変わっていったという。「ここにいると、両親のことを想えます」と彼は当時NDRに語った。この場所が常に訪れる人々で賑わっていることを彼は嬉しく思うという。4つの命の喪失を偲ぶこの場所は、人生がいかに儚いものであるかを静かに物語っている。