ヨーロッパの歴史

フランス国王ルイ15世の子供たちは誰?それぞれの生涯と最期を徹底解説

フランス・ブルボン朝の国王ルイ15世(在位1715年~1774年)は、王妃マリア・レシチンスカとの間に10人の子供をもうけました。しかし、当時の医療水準では王族といえども病気を防ぐことは難しく、成人まで生き延びたのは7人だけでした。本記事では、ルイ15世の子供たちがそれぞれどのような人生を歩み、どんな最期を迎えたのかを詳しく紹介します。

ルイ15世の10人の子供たち

ルイーズ・エリザベート(1727年~1759年)

双子の姉の一人で、1739年にパルマ公フィリッポと結婚し、「マダム・アンファント(パルマ夫人)」と呼ばれました。娘イサベラは後に神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世の妃となっています。彼女自身は32歳で天然痘により亡くなりました。

アンリエット(1727年~1752年)

ルイーズ・エリザベートの双子の妹です。生涯結婚せずヴェルサイユ宮殿で暮らし、24歳の若さで天然痘のためこの世を去りました。

マリー・ルイーズ(1728年~1733年)

幼いうちに病気のため夭折しました。

ルイ・フェルディナン王太子(1729年~1765年)

ルイ15世の長男にして王位継承者(ドーファン)。しかし父王に先立ち、結核のため36歳で亡くなりました。王位は彼の息子たちへと受け継がれ、長男ルイ・オーギュストがルイ16世として即位することになります。

フィリップ(1730年~1733年)

アンジュー公として生まれましたが、3歳未満で夭折しました。

マリー・アデライード(1732年~1800年)

「アデライード夫人」の名で知られる王女。生涯結婚せず、妹たちと共にヴェルサイユで過ごしました。フランス革命の際には国外へ脱出し、オーストリア領トリエステで亡くなっています。

ヴィクトワール(1733年~1799年)

「ヴィクトワール夫人」。幼少期をフォントヴロー修道院で過ごしましたが、後に宮廷へ戻りました。革命勃発時には姉アデライードと共に亡命し、トリエステで生涯を閉じました。

ソフィー(1734年~1782年)

「ソフィー夫人」。結婚することなく、1782年にヴェルサイユで静かに亡くなりました。

テレーズ(1736年~1744年)

8歳で夭折した王女です。

ルイーズ・マリー(1737年~1787年)

「ルイーズ夫人」。1770年にカルメル会修道院に入り、「サン・トゥガスティンのテレーズ」の修道名を授かりました。華やかな宮廷を離れ、敬虔な祈りの人生を送った末に亡くなりました。

子供たちのその後――何が起こったのか

ルイ15世の子供たちの多くは、天然痘や結核など、当時は治療法のない病気によって早世しました。成人した男子は王太子ルイ・フェルディナンただ一人でしたが、彼も父王より先に世を去ったため、王位は孫の世代へと引き継がれることになります。

未婚のまま宮廷に残った王女たち(「メダムたち」と呼ばれました)は、フランス革命という激動の時代に直面しました。アデライードとヴィクトワールは革命の混乱から逃れるためトリエステへ亡命し、異郷の地で余生を終えています。一方、ソフィーとルイーズは革命前にすでに亡くなっていたため、その悲劇を直接経験することはありませんでした。

さらに注目すべきは次の世代です。王太子の次男だったアルトワ伯シャルル・フィリップ(後のシャルル10世)は、革命時に亡命したもののナポレオン失脚後に帰国し、1824年にフランス王として即位しました。こうしてルイ15世の血筋は、激動のフランス史の中で再び王位へとつながっていったのです。