ヨーロッパの歴史

小アジア戦線1921――チャム・テペの激闘!ギリシャ軍、銃剣突撃でトルコ軍の夜襲を粉砕

小アジア戦線1921――チャム・テペの激闘!ギリシャ軍、銃剣突撃でトルコ軍の夜襲を粉砕

エスキシェヒルの勝利からセイディ・ガジへ

エスキシェヒルにおけるギリシャ軍の大勝利の後、第2軍団はセイディ・ガジ方面への前進を命じられた。これを受け、第2軍団は麾下の第13歩兵師団とプラスティラス支隊に対し、退却するトルコ軍の追撃を下令した。

第13歩兵師団が収集した情報によれば、トルコ軍はセイディ・ガジ一帯に歩兵3個師団(第8、第11、第57師団)を配備し、さらにその左翼には騎兵2個師団(第2、第14師団)を展開して、プラスティラス支隊に相対させていた。

1921年7月7日――トルコ軍の先制攻撃

1921年7月7日、トルコ軍はギリシャ第13師団がチャム・テペの尾根に敷いた陣地に対し、先制攻撃を決意した。主攻を担ったのは第8師団の主力であり、第57師団から抽出された1個連隊が増援として加わり、第11師団が第二梯団として後続した。

これに対峙していたのは、第3歩兵連隊第3大隊(III/3)である。トルコ軍は早朝4時、奇襲攻撃を仕掛け、初手こそIII/3大隊を圧倒することに成功した。しかし同大隊はまもなく態勢を立て直し、執拗なまでの気迫を込めた銃剣反突撃によってトルコ軍を打ち破り、元の陣地の全域を奪還してみせた。

凄惨な白兵戦の末に

だが、数で勝るトルコ軍は同大隊を包囲圧迫し、将校のほぼ全員が戦闘不能となる甚大な損害を負わせた。予備の中隊が到着して一時的に戦線は安定したものの、トルコ軍の攻勢は止むことなく、大隊の防衛線は突破寸前にまで追い込まれた。最終的にはII/3大隊からの増援中隊が介入し、銃剣、銃床、石塊、そして素手による激しい白兵戦の果てに、ようやくトルコ軍の攻撃を撃退したのである。

トルコ軍はI/3大隊の正面にも攻撃をかけたが、こちらも撃退された。しかしその圧力は苛烈を極めたため、第13師団長キモン・ディゲニス大佐は、自らの指揮下にある第2歩兵連隊の投入を決断した。

反転攻勢――2キロの突進

I/2大隊は、第3歩兵連隊(連隊長:ディミトリオス・アヴラムポス中佐)の指揮下に入り、同連隊の防御線強化を命じられた。同時に、コンスタンティノス・ゾロギアニディス大佐率いる第2歩兵連隊の残り2個大隊は、トルコ軍の左翼を側面から突く機動を実施するよう指示された。

その間に、師団司令部はI/3大隊とI/2大隊に対し、第3連隊の正面を圧迫するトルコ軍部隊への一斉攻撃を下令した。両大隊はI/3大隊長シメオン・ヴラコス少佐の指揮下に置かれる。「進め――進め」というラッパ信号とともに、両大隊は銃剣を突き出し、「エア(進め)」の鬨の声を上げてトルコ軍へ殺到した。2個大隊は行く手のトルコ軍部隊を次々となぎ倒しながら、2キロもの前進を成し遂げたのである。

そのころトルコ軍は、第2歩兵連隊の2個大隊による包囲を恐れて、慌ただしく撤退を開始していた。こうしてチャム・テペの戦いはギリシャ軍の勝利に終わり、セイディ・ガジへの道が開かれた。

損害と戦いの結末

双方の損害は甚大であった。ギリシャ軍は死者・負傷者合わせて520名を失った。一方、トルコ軍の損害はそれをはるかに上回り、確認されただけでも戦死者が560名を超えていたという。